◀︎メッセージを送る
読みにくい文章

先ほどメッセージを送った者です。返信がうれしくなりまた書いてしまいました。…

読みにくい文章の話
こんにちは!
読みにくい文章
先ほどメッセージを送った者です。返信がうれしくなりまた書いてしまいました。

>文に向かった瞬間にその文の情景・構造を頭の中でイメージできるか否か…みたいな読み方をしており、「理解」とはイコールではない気がします。

この感覚すごくわかります! 私も普段はそういう読み方をしている気がします。私が勝手に感じているだけで実際には違うかもしれませんが、少なくともこの文を読んで私は「わかる」と思いました。

ただ、読みやすい文章の場合はそうなんですけど、難解な文章になるとパッと汲み取れず「我に返る」感覚があり……そういう時はとりあえず文字を追って、なんとなく言葉を理解する、把握することに努めています。
すると自然にまた内容に入り込んでいるというか、気付けば読み終えていることも多い感じです。

宮沢賢治の文章は入り込むためのその「文字を追って把握する」という工程すらもできない、本当に読書を阻害されているような感覚になるため、びっくりしました。

それまでは読書が苦手という感覚がよくわからなかったのですが、もしかしたらこんな気分なのかなと。
これまで私が文章を読むということを楽しめていたのは、運が良かっただけといいますか、たまたま楽しめる範囲が人よりすこし広かっただけなのかもしれないな、と今は思っています。
アイコン
読解ができる人を自分とは異なる能力を持つ人と考えているので、感覚が同じと言われて驚きました。「我に返る」感覚で、私は集中力が切れてしまいます。おそらくその頻度がかなり多いので、なんとかしたいなと思っていました。あなたのようになんとなくでも文字を追って、言葉をひとつひとつ理解することからやってみようと思います。

「文字を追って把握する」という工程すらもできない、まさしく私は伊沢さんのブログの文章を読んでいる感覚がそれです。単語単語の意味はわかるし、指示語を追って遡ったりするけれど、そこで記憶した短期記憶は持って返る前に霧散してしまうので、全く進まないという現象が起きます。まさしく、読書が苦手という感覚だと思います。私が本を読みながら読書が苦手と感じる時は、自分が理解できないという無能さを突きつけられて、歩んでみるけれども踏み出している場所がわからないという迷子の感覚に近いです。

他の人が同等の能力を必ずしも持っているとは限らないという意味で、文章を読むことを楽しめているのは幸運なことなのでしょう。それは、私が何かを表現するときにこうして文章で言語化する手段と、漫画や絵として表現する手段を持ち合わせており、それを誰しもが持っているわけではないということと同じ意味で幸運なことだと思います。人生謳歌のためにあらゆる適性があり、自分が楽しめるからといって人間が特性としてそんな適性をもっているわけではない、といった希少性※という意味で幸運です。他の人に同じ適正が必ずしも備わっているわけではないという周囲への認知として持っておきたい認識だなと思います。
※希少、というと5%くらいなイメージがありますが、人類70%しかない能力を持っていてもこの幸運に含めたいです。あまり当てはまりが良い言葉が見つかりませんでした。

私は活字中毒というより、好奇心が強い情報中毒者です。学生時代他教科に比べておそろしく国語ができず、読解の苦手意識があります。ここ最近になって私が求めている本は小説ではなくいわゆる「現代文」に出てくるような本なのだなと気づき、ほぼ積読前提で気になった本を買っています。なんとも恥ずかしい話ですが、「現代文」が本になっているという感覚がここ最近までなかったんです。でも情報中毒を満たせる手段の一つである本を読むためには読解という力が必要なので、ひぃひぃ言いながら、たまに寝落ちしながら、電車の中で本を読んでいます。読書と自分の関係性についてよく考えることが多い日々の中、読書ができる方のお話を聞けてよかったです。
メッセージ一覧に戻る

このサイトは生成AI(OpenAI ChatGPT 4.0)を用いて構築しています