私は活字中毒気味で、読書もインターネットも大好きです。
もっと上はいるでしょうが、人並み以上にはさまざまな文章を読んできたし、読みやすい文も読みづらい文もどちらも楽しめるだけの読解力はある、という自信があります。こうして人様に言うのはちょっと恥ずかしいですが。
ですが、どうしても宮沢賢治の文章だけはどうにも受け付けませんでした。
短めの文ならなんとか読めるのですが、長編となると頑張って読もうとしてもどうにも言葉が入ってきません。
表現が読みづらいとか内容が難しい文章でも、理解したいと思えば根気強く読めるんです。しかし、彼の文章は本当に『受け付けない』という表現がしっくりきます。
生まれて初めて文章というものに拒否反応を起こして、「ありえない、この私が……!?」と思わずアウラになるくらい本当に衝撃的でした。(当時はまだフリーレンは連載されていませんでしたが)
Subroさんの一連のお話を見て、やっぱり人によって文章の相性はあるんだな、と思い共感したのでメッセージを送らせていただきました!
すみません…サイト編集中に返信内容が飛んで、以下記憶をもとに書き起こししております。若干ニュアンスや表現が異なると思うのですが、ご容赦ください。
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ある程度読解力に自信がある方でも苦手な文体があるんですね!私は教科としての国語が苦手な人生だったため、読解力があるという状態に一切の親しみがなく、読解力に自信がある状態のイメージが湧かないため、あなたのメッセージをいただいて驚きました。
このメッセージをいただいて、青空文庫で「よだかの星」を読みましたが、特に問題なく読み終えました。
もちろん、短めの文章なのであなたとしてもがんばって読める範疇だとは思うのですが、きっと「受け付けない」という感覚なのでしょう。
ただ、あなたが読書の中で目指している「理解」と私が読書で読みこなしていくイメージは異なっているかもしれません。
私にとって、文に向かった瞬間にその文の情景・構造を頭の中でイメージできるか否か…みたいな読み方をしており、「理解」とはイコールではない気がします。
しかし、メッセージ返信までご覧になるところを見て、活字中毒を感じました。読書好きであるもののインターネットに漂い続けた結果、私も活字中毒気味ではあるのでなんだか共感してしまいました。