それだけ楽しく読んでくださったのかなと思うと、同じ漫画を好きな身としてとても嬉しいです。
そしてAro/Aceについてのご意見やお話もありがとうございます。
Subroさんからのお返事を受けて、ちょっと自分の考えや感覚を振り返りたくなったので、少し長めに自語りさせてください。
Subroさんからのお返事にもありましたが、私にとって、自分の指向と、物語や他者に求めるものには差があるように思います。
恋愛を「自分以外の他人がすれば良い」と思っていると書きましたが、私にとって恋愛や性愛って完全に「他人事」であって、だからこそ、「自分が関わらないもの」として一歩引いたところ(≒安全圏)から眺めるのが凄く好きです。
自分以外の脳が考えていることに触れるのが好きなので、恋愛も、他者たちの言動や営みのひとつとして眺めてて楽しいものです。
恋愛や性愛、そしてそれに絡む作品に対して、私は「読者」や「閲覧者」でありたくて、決して「演者」になりたい訳ではない、と言いますか。
私は「自分が関わる色恋沙汰」への忌避感がとても強くて、それが理由でAro/Aceというセクシャリティの存在を知り、最近になってリスロマンティックというものも知って、それに近しい何かなのかなーとふんわり自認している次第です。
少し話がずれるのですが、私はBLというものを「読みやすいジャンル」だと感じていて、その理由のひとつに、自分のセクシャリティが関係しています。
私は自分が女性であることには何の疑問も無いシスジェンダーで、でも自分が色恋沙汰に関わるのは避けたい。
そういう時、男性同士の恋愛を扱うBLは、完全に他人のこととして安心して感情の動きを眺められて凄く読みやすいんですよね。
特にBLの場合、「何故同性を選んだのか」という「理由」を描こうとする作品が多いようにも思えて、それも読みやすさや面白さに繋がります。
恋愛感情を己のこととして捉えるのが難しいからこそ、その感情に至るひとつの理由や見解を示してくれる作品が多くて、BLというものにハマったように思います。
自分の指向と、他人や作品に求めるものに差があるのも、「自分には馴染みの無い感情への興味」が常にあるからかもしれません。
そして最後に書かれていた、カテゴライズの話について。
私も何でもかんでもカテゴライズし過ぎることには肯定しかねる考えを持っていますが、それでも、ある程度の傾向や枠を設けることにはそれなりの意義があるとも思います。
個人的に、「名前があること」は、「それが存在した(存在している)ことの証」だとも思っていまして。
かつて、人から好意を向けられることに言いようのない怖さや気持ち悪さを感じてしまうことに悩んでいた時に「アセクシャル」という言葉を知って、こういう名称が存在するくらいには、自分に似た感覚を持っている人がいるんだという事実を知って凄く安心したんですよね。
Aro/Aceという指向や概念に名前を付けて、検索に出てくれるようにしてくれた人々に、今でも感謝しています。
たくさん書いてしまってすみません。
自分の感覚を振り返る良い機会をありがとうございました。
「自分の指向」「消費を好む指向」「生産する指向」に関して考える機会が増えた日々の中、あなたからお便りをいただけたことで私の考えにも幅が広がり、楽しい限りです。ご返信ありがとうございます。
コンテンツの場合、自分に矢印が向くことがなく、安全圏から楽しめる気持ちもよく分かります! 仰っている通り、BLはまさしく自分が当事者たり得ないことから、コンテンツの登場人物と安全圏の自分との距離を遠く作りやすく、読みやすいと思っています。そして、たしかにBLというコンテンツは(良し悪しやリアルさはおいておいて)異性愛者が「あえて」同性を好きになることが多く、理由づけの描写は他ジャンルよりしっかり描かれているので、あなたの感情がとても腑に落ちました。
一方で自分勝手な自分は恋愛・性愛以外の愛をとても大事にしているからこそ、あらゆる言動の源が恋愛・性愛である描写に入り込みきれず集中が切れるところがあるのかな、と思っています。恋愛・性愛ではないけれども、わたしの周りの多くの人に対して個別に愛を持っており、その気持ちがとても大事だからこそ「恋愛・性愛」のラベリングが何より重く人物の決定を左右するものとして描かれると、どこか自分の大切にしている「愛」が半端に扱われる気持ちになるからかもな、と思います。
Aという事象への肯定は余事象にあるBという事象を否定するものではないと頭ではわかっていますし、そのような肯定と否定の混同を好ましくないと発言したこともあったのですが、まさしく自分も同じ罠に陥っており恥ずかしい限りです。でも自分の感情を素直に表現すると、その罠にかかっていることを否めません。
おっしゃる通り、名前があることは存在の証だと思います。カテゴライズされた様相に寄っていってしまうことには多少の問題は孕むかもしれませんが、自分の中で当てはめる分には良い場合もあるかなと思っています。自分に似た感覚を持っている人がいるという事実に安心した気持ち、とてもよく分かります。
アロマ自認がはっきりする前から、自分は人から特別視されるのが苦手※であるので、一生独身という決意をしていました。
アロマ/アセクを知ってから、同じような感情の人がいることを知ることができたことに加え、アロマ/アセクの懐の深さ・多様さや、「自認」は自分が安心するために使っていいというマインドを学ぶことができました。ラベリングの功の部分を自分では受けられたなと思っています。
カテゴライズの功罪についても自分の中のホットトピックなので、話題にも出ていないのに触れたところ、拾ってくださりありがとうございます。
※わたしは、好きな人ランキング8~9位くらいで、好きな人を挙げて行った時に考え出すか出さないかのフチのところに挙げてくれる、私の愛する(not 恋愛・性愛)人たちが3人くらいいたら嬉しいな〜と思って生きています。1位にされても同じ種類の愛を返すことができないからただただ重荷に感じて苦しい様相です。あなたの感じる怖さや気持ち悪さともきっと異なっていると思います。そういうところがアロマ/アセクの懐の深さであり、同じラベリングでも多様さを許容しているように感じられます。このラベリングを今はとても気に入っています。
さて、わたしからもひとつコンテンツのおすすめ返しをします。NHKオンデマンドで配信している「恋せぬふたり」では、アロマ当事者の男女が一緒に暮らす話を描いています。飯フレ同様、理解できていない周囲の人間からの嫌な声がリアルでうっとなる場面もありますが、飯フレがお好きなら耐えられると思いますし、おすすめです。素敵な関係性だな〜と眺められます。脚本も演技もとても上手です。