習慣化について
Subroさんこんにちは~。
いつもブルスカやてがろぐなど楽しく拝見しております。
Subroさんが以前、趣味の話の際などに「習慣化が得意」「ジム通いなどは無心で続けてる」というようなことを書いていた記憶があるのですが、
(一応その記述が何処に書いてあったか探してみたのですが見付けられず……記憶違いでしたらすみません)
Subroさんが何かを継続する際、「飽き」という壁にぶつかることってありますか?
自分は何かを行う際に、この「飽き」というヤツの所為でいまいち継続ができないことがあります。
例えばある時期に歩くの楽しい~となって散歩にハマりかけたのですが、
知ってる道や景色に飽きを感じて、徒歩圏内で行ける「行ったことが無いところ」が無くなったタイミングで「何故私は自転車を持ってるのにわざわざ歩いてるんだろう」となって、
今は散歩お休み期間中です。
また、最近Xのおすすめ欄で、あるイラストレーターさんがご自分の絵の描き方を説明する際に
「下書きをしっかり描くと、線画の段階で『絵を描くこと』に飽きてしまうから、ざっくりアタリだけ取っていきなり線画に入ります」
と書いていて、こういう形の「飽き」もあるのかと興味深く思いました。
これについて色々考えていた時に、習慣化についてのお話をされていた絵描きのSubroさんのことを思い出して、
Subroさんならこの「飽き」というものについてどう考えるのかな~と思った次第です。
ぼんやりしたお便りですが、もし良かったらSubroさんのお考えなど聞いてみたいです。
こういったメッセージとても嬉しいです!
結論、目的達成のために習慣が必要であれば行動に飽きても続けるけれど、習慣化した目的にも行動にも飽きた時は辞めています。趣味は趣味なので辞めてもよいわけです。趣味というのは、私にとって自分の可処分時間を心地よく処分する方法であり、気が向かないならやめても良いわけです。じゃあなんで続けていて、どうして「飽き」ないのかなあ〜と考えてみました。
私の中で、「習慣趣味の飽き」というものには2つの軸があると思います。習慣化する目的に飽きた時と、習慣化した行動に飽きた時です。
習慣は基本的に目的を伴います。上達であったり、利益であったり、習慣化/定期的に行うことで見たい景色がなければ、習慣にする意味がありません。虫歯にならないために毎日歯を磨くようなものです。別に歯磨きは楽しくないけど、虫歯になりたくないので習慣化する必要があるわけです。別に趣味は習慣化する必要はなく、あえて習慣化するには何かしらの目的が発生します。
わたしにとって習慣化する目的、というのはゴールとかそんな大層なものではありません。上達した先の曖昧なイメージだったり、習慣にすることでなりたい姿だったりするわけです。たとえば、私にドイツ語に対する大げさなモチベーションや目標はないです。「まいにちドイツ語」の応用編で流れるベルリンのラジオ放送がいつか聴き取れるようになるかな、くらい。別にそれに向けて一生懸命に励んでいるほどではありません。100% Berlinが聴けたからって何にもならないし。バイオリンもいつか宮園かをり(「四月は君の嘘」に出てくるバイオリニスト)が弾いていた曲を弾けたら良いな、とか遠すぎてそれをゴールに頑張るほどでもない希望を持っています。
加えて、独身は可処分時間を潰すタイパの悪い趣味を得て趣味を行う気力を保ち続けるべき※、という大方針に習慣化は最適ということもあります。毎日の何分か時間を処分できるので、習慣化すること自体が大きな目的となっています。
そして、この習慣化自体の目的を見失った時、習慣は終わりを迎えます。逆に、習慣の目的を見失っていなければ、私は続けられるようです。
たとえば、私は筋トレに喜びを感じていません。飽き、どころか、筋トレという行動に面白みを感じません。しかし、健康維持/腰痛予防という目的で、続けています。筋トレサボった週は腰に明確に違和感が出るし、調子が悪い。哀れ。絵に関しても、上達という目的を持っていません。漠然と上手くなりたいと思うものの、上手くなることを諦めている。でもお絵描きという行為が楽しいので、続けています。
一方で、この習慣の目的というのは弱いモチベーションであり、行動自体への興味を失った時にカバーできないことも多いです。しかも、一度夢見たビジョンなんて、どんどんと変わっていきます。最初は健康維持を目的に散歩をしていても、知らない景色を見ることが目的になったように。人というのは目の前の利益の方が高く見え、遠い未来の利益の方が安く見えるものです。逆に、習慣の目的なんてなくても、行動が楽しければ同じ行動を繰り返せるものです。そのくらい目の前の行動に対する興味・モチベーションは続けられる力になるわけです。
行動に飽きないためには、習慣化における行動は毎回変化する必要があります。たとえ目的に対して近道であっても、同じことを繰り返せば基本的に興味を失っていくものです。私はドイツ語において、12種に変化しやがる英語のtheにあたる単語”der”の変化が全然覚えられないのですが、der des dem den…だけを毎日やっていたらさすがに飽きるわけです。目的にまっしぐらだったらさっさとこの12種を覚えた方がいいのですが、うろ覚えでDuolingoやっています。問題変わって嬉しいね。散歩だって、毎日同じ道を同じペースで歩んでいたらそりゃ行動に飽きると思います。うっすらでも変化したら行動への飽きが緩和され、弱いモチベーションをカバーすることができます。タイム測って同じ道を速く歩けるようにする、とかね。
このような感じで、私はうすらぼんやりした高遠なイメージに向かって、テコテコと習慣を積んでいるわけです。適度に目の前の行動に対する興味をコントロールしつつ、弱いモチベーションとしてのビジョンに10年後に届いていたら面白いなと思って、時間を処分し続けています。
さて、いろいろ考えてみましたが、別に散歩という趣味を習慣化する必要はないのではないでしょうか。旅行に行った時に、ちょっと早起きして宿の周辺を歩くのって楽しいよね。何もわざわざ習慣化して、健康という目的に励む必要はないと思います。ただ、散歩していた時の方が今より健康だったな、と薄らぼんやり思うなら行動への興味を無視して目的のために歩いてもいいと思います。別に習慣的にやらなくても、ある時点で心地よく時間を使えるタイミングがあるなら、立派な趣味ですから。
※独身主義はタイパが悪い趣味をやるべき…
独身は同居する相手もいなければ、圧倒的に時間とお金を費や”せる”子供もおらず、介護を除けば基本的に自分に時間を費やすしかない。ひと昔前あれば家庭と子育てに振り分けられていた膨大な時間は、結婚や子育てと違って先人のレールが存在しない。いかに心地よく楽しく処理しまくる生きがい(趣味)を自身の手で耕し、それを行える体力と気力を保持し続けるかが人生において肝要となる。この点において、誰かの供給に依存する消費的趣味よりは、自身で創造したり習得したりする必要がある生産的趣味の方が可処分時間が長く独身に向けては推奨されるという、ここ3年くらいで得た個人的思想。
この度は思考を巡らせることができる話題をご提供くださりありがとうございました!メッセージとても嬉しかったです。