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人格否定が混ざらない限り、基本的に相手を傷つけるためでも論破するために議論というものは存在ない。AとBの意見それぞれあってそれぞれの論拠があり、昇華したCを目指すか新たなA+を探すかしているだけである。

 一方で、A VS Bと対立的にしか捉えられない人も議論好き・議論嫌い双方いる。相手の考えをAに変えさせることが目的になっていたり、自分のBという考えを守ることが目的になったりしている。

いずれかがA VS Bという対立的な考えでいる限り、「否定したくない」「否定された」という話になる。これは議論の目的の考えで発生するものであり、議論の内容自体で生まれる考えではないと思っている。


カスみたいな事例を出す。
「自カプがCDの根拠は、DはノンケでありCに性的欲求を抱いておらず、DがCに対して勃たないから」という意見はDCの意見を持つ人の否定ではなくあくまで意見に過ぎない。
「否定されて傷つきました!絶対DCだもん!」と勝手に“傷ついて“いるだけだ。
「確かにDはノンケだね。男の生殖器は無理やり勃たせることができる。原作のこの描写から、CがDに対して抱かれたい欲求を抱いていると思うので、無理にでも勃たせる行動力がある」とか自分の好きなDCに対する意見を述べればいい。議論というのは白黒ではない。この話でも、異なるカップリングを主張しつつ「Dはノンケ」という考えは合致しているので、深掘りの出発点になるだろう。最終的に「二次創作者としてDのえっちなところを見たいから捏造しているんだ」という意見に収束したっていいし、何を言われようがあなたがDCだと考える気持ちは持っていていいものだ。ただ、CDの意見を聞いて勝手に傷つくな、というわけだ。

意見を述べられなくなった(言語化の手立てがなくなった)ことによって相手の意見を受け入れざるを得ないと“勘違いした人“が「傷ついた」って言う。
相手に意見の余地を与えられなくなったことによって自分の意見を通してしまったと“勘違いした人“が傷つけたと言うイメージである。
そして「議論」が誰かを傷つけるものだと思っている人は言語化自体が議論を巻き起こすと思っているから言語化自体を忌避する。

わたしはCとかA+を探りたいのだけど、自分だけではAにしかならないから他人のBを知りたい。
他人の意見であるBに合わせたくないという考えはなく、Aの論拠とBの論拠を深ぼった先に得られる別の考えを得たい。

しかし、私がAの論拠や考えを言うと結構心が折れる人がいる。
おそらく、AかBかの状況だと思っているから、Bを否定されることで“負けた&傷ついた“と思ってしまう、自分でBを肯定する材料がなくなったから相手の意見を受け入れなければならないのかと考えてしまう、のではないか。

※ただし、考えることは強烈に負荷がかかるものだから、負荷を強要される議論の場に巻き込まれること自体が“(心労的に)傷ついた“ともなる。その考える負荷を回避するための行動が“自衛“だと思っている。

言葉にできない感情もとても大事だけれど、言葉にしなかった感情がどれほど自分の中で記憶されているかと思い起こすと、ネガティブイメージは言葉にしなくても残るものの、ポジティブ感情は言葉にしなければ消え去ってしまう傾向を感じる。言葉にして栞を挟んでおくことも大事だと思う。言葉にすることでようやく他人に伝えることができもう一個別の考えを得られる可能性も高いから、こうして言葉にしてよっこらよっこら投稿している。
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「エコーチェンバー」「フィルターバブル」という言葉、10回ぐらい忘れて10回ぐらい思い出そうと試みている

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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」


タイトル通り、働く前は本を読んでいた人が働いてから本を読めなくなったことを嘆き悲しむ本である。SNSでは“元“読書家たちの共感が溢れている。

そもそも働く前から本を読んでいない人間に向けた本ではない。

私はそもそも読書家ではない。国語という教科に対する激しいコンプレックスがある。読書家の母から「本を読め」と言われながら本を読まず、国語の成績だけが悪く、大学受験まで尾を引くほど国語が苦手なのだ。センター試験144点は私にとってのトラウマの数字なのだ。決して悪い成績ではないが、私にとってはあんなに忌み嫌う国語と向き合ったのに?という点だったのだ。

一方で、最近私は本を読む努力をしている。理由は、上司に「お前の言うことは全て浅いから本を読め」というお言葉をいただいたためだ。この言葉で殴られてから、自分の無能さに凹みっぱなしだ。多少は読書量が増えたが、上司の言う通り1ヶ月に20冊など到底読めていない。せいぜい5冊…というのも見栄でギリ2〜3冊かな…と言った具合だ。

自分が本を読めない理由は「ノイズ」を身体に流し込めないからだと悟った。とにかく、わからない文章を読み下せないのだ。IT業界にいるとあらゆる意味不明のカタカナ語や意味不明の文章を良く見る。目が滑って読み飛ばしてしまうのだ、おそらく無意識に。物事の構造を掴んだり、考えることは不得意ではないのに、自分にとってノイズの多い文章を読み下すことができない。

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ずっとTwitterで自分の脳内に沸いた考えや感情を140字以内の文章に書き連ねる行為をしていればそりゃ作文に対する抵抗感はなくなるよねえ…国語コンプレックス人間だけど、どちらかというと読書に振り切った国語コンプレックスであり、作文に苦手意識はないな…。この苦手意識は素敵で読みやすい文章が書ける自信ではなく、書くことに対する抵抗感がないという意味です。読書は抵抗感あるよ。

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自カプだからという理由で全ての同人誌を手に入れなくてもいいし、全ての作品に反応しなくても良いという考えに落ち着いている。


以下は個人的な話だが、ここ1年くらい読み手としての自分と、描き手としての自分と、交流する人間としての自分をキッパリ分けたら過ごしやすくなった。

人格≒作品という考えを持つ人がいる以上、特に相互に関しては「私が」反応しなければ気にするのではないかと思っていた時期もあったが、それは傲慢であると自省した。自分の反応の有無と作品の良さは紐づかないだろう。そして、読み手としての自分と、描き手としての自分と、交流する人間としての自分、それぞれの自分の行動目的が混在すると、いずれかの自分のストレスになる。

インターネット精神衛生上、これらの目的が混ざり合うと碌なことがないのである。
目的が混ざり合った結果、自分の行動正義が変に固定されてしまい、反転して自分に対して同様に扱わない友人を見て心に翳りが生まれたりするものだ。それこそ、全ての作品を肯定しない・反応する作品を選ぶなんて間違っている、などといった具合だ。

考えてみると、自分の作品は糖度が低く平坦・平穏な物語ばかりだが、別に万人に読んで感想を書いてもらいたいわけではなく、そういう自カプが好きな人が読んで感想を送ってくれれば良い。糖度が高い自カプが好きな人や、しょっぱい自カプを読んで自分の解釈に自問してしまう人に無理に読んでもらうなど、たとえ友人であってもお互いにとって良くないだろう。
私としても、提供する作品と交流相手としての私を別に見てもらえたらなという願望があるのだろう。

本当に自分好みの作品を選択している分、読み込みに集中して好みだからこそできる感想を綴ることができるのも良い点だ。
また、同人誌の数には限りがある。その同人誌の内容が本当に好みで読みたい人もいるんだから、私が買うよりその人に渡るほうがいい。

以前はなんでも反応しなければという気持ちがあったが、やはり傲慢で、私が反応しないからって何か影響を与えるわけではなかろう、という自省である。畳む

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Mには優秀な人や地位が高い人が多い説


優秀な人ほど叱責される機会がなくなり、周囲からひたすら持ち上げられるようになるため、自分のダメな部分を自認してくれる人が周りにいなくなる。
もともと自己肯定感が低いタイプだと、自分がどれだけ惨めでダメなやつでも世話して肯定してくれるSを求めてしまうという流れだと思っている。

そもそもSはただMに暴力をぶつけるのではなく、強固な信頼関係を構築した上で、Mが喜ぶやり方で奉仕してあげたいと思える才能だと思っている。

個人的な考えだが、「押したら相手を行動不能にスイッチ」があったとき、持ちたい側がS・持たれたい側がMだと思う。

一見それを待つ側が楽のように見えて、信頼関係がある相手を前提とした時は、自分の行動が全て相手に委ねられており自分の行動で何かが変わるわけではないという状況は心理的な安寧があるといえる。

持つ側は相手の行動を制限できるという権利と征服欲を得るが、一方でスイッチを押す責任や押した際に相手を守る責任を負う。

委ねるMと負うS、と考えた時、Mの「委ねる」というのはとても心地いい響きになるわけだ。私が若干Mのきらいがある人間なので、そう思っている。

狛枝は自己肯定感が低いように、そしてMなように見せかけているだけで、プライド高すぎ・自己の能力大好き人間だし、人の上に立ったり征服したりすることに強い興奮を覚えそうなので、どちらかというとSの素質の方が強い気がする。

一方で、日向は自己肯定感が低いわりに、ED後は周囲から持ち上げられそう。自分の自己肯定感の低い所以である能力の低さを認めてくれる人物を求める、つまりMの素質があると思う。ただ、わりと自己受容も進んでいそうなのでふとメンタルを落とした瞬間にそういうプレイがハマりそう。
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自カプをかいている人たちみんな素敵!にもパワーがあるし、好みの自カプをかいているあなたが私は好き!にもパワーがあって、私は後者のパワーを大事にしたい。

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パロディものって、パロディ設定を挟むことにより、求められる解釈の解像度の段が一段下がるようで描きやすいし読みやすい

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苦手を言葉にして、一番腑に落ちたのは「性自認を否定する行為や受けに女性性を重ね合わせる表現が苦手」ということです

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二次創作の感想「語彙がないから書けない」のか?
感想を送るなら、作者に不快にならない表現をしたいし、できれば喜ばせられるような表現をしたい。

素敵な文章で作者を喜ばせられれば最高である。
ただ、感想において創作性は求められていません。感想は作品ではないし評価されるモノではない。

以下、手間を惜しむことを、相手の作品の良さや自分の能力のなさでパッケージして発することは失礼なことではないのか、という個人的な内省である。

「語彙がないから感想が書けない」(=書かない)には「感想を書く労が惜しい」という感情も含まれているのではないか。
自分の感情を言葉にするのすごく労力が要るものなので、手段を分かっていようが労を払えない人は払えないだろう。

感想を書かない理由付けが「語彙がないから感想が書けない」なのかな、と感じてしまう。語彙がなくても感想は書けるものだから。

他にも、相手の否がないように・賛美するように自分の怠慢をパッケージしたとて、翻って相手の否や自分の怠慢を見抜かれてしまうことはあるのではないか。たとえ賛美の言葉であっても、自分の怠慢や至らなさを克服できなかったことが根底にあるなら、伝えないほうが良いのではないか、と自省する。

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