No.371

選挙の話をするか。政治経済学部卒なので。

選挙に行け、選挙に行けと言われる世の中である。

しかし、あなたが選挙に行く利点を説明することは私には難しい。別に行かなくても当たり前だろ、とすら思う。
現に、私は選挙に行かない姉を説得する手段を持ち合わせていない。
(注:若年層の投票率を低めることで、当選確率が上がる政党を支持しているわけではない)


さて、政治学は法学の下にあるタイプと経済学の下にあるタイプがある。私は後者の学徒だった。

そんな政治経済学部では別に政策論議などしない。
政治論あったはずだが、私が特に覚えているのは、統計や利得計算の類である。
政治と経済が紐づく学部は特に統計や数学の色が濃い。法学系の政治のこと知らんけど。

1年次の授業で「なぜ人は投票に行くのか」という投票行動のテーマがあり、
投票行動に影響を与える投票の計算モデルのひとつを学んだ

曰く、
①候補者の当選により得られる利得(効用)
×②自分の1票が勝敗を左右する確率
-③投票に要するコスト
+④投票行動自体から得られる利得(義務感、倫理観、社会規範)

この式、どう考えても「②自分の1票が勝敗を左右する確率」がめちゃくちゃ低い。
市議選レベルであれば1票差で決着がつくことがあるものの、国政選挙で本当に1票差で勝敗が分かれた事例を私は知らない。
(※2024年の国政選挙にて、124票差という結果があったらしい。しかし、あなたはひとりで125票投票できるわけではないので、この選挙区にいたところで勝敗は変わらない)

①×②の要素は限りなくゼロに近いので、投票行動の意義を説明してくれない。
④を考えないと投票行動の理由を説明できないね、というモデルなのである。

実際私の衆議院選挙区では、20年弱当選者が変わっていない。
いずれの政局だろうが勝っている。絶対今回も当選するので、その人に入れようが勝利には関わりがないし、別の候補者に入れても死票になるのみである。
①×②はほぼゼロ。③の手間を差し引いたらマイナス。わたしは④を持って投票しに行っている。

その④の一番の内容も立派なことではない。第一に、私が政治経済学部の卒業生だから、プライドとして選挙に行っているだけである。
政治行動しておくか、政治経済学部だしな、という。

次に、選挙戦をエンターテインメントとして楽しむために積極的に関わっておいている、というだけだ。

選挙とは滅多にない全国一斉即開票アンケートであり、自分のある地点でひとつに定めた考えと選挙権のある大衆との認識のずれ(または整合)を知ることができる。自分がどんな投票をしようとも勝ち上がる我が区の候補者の当確を見れば、同じ地域に生きる人であっても考えが多様であることを知ることができる。

めちゃくちゃにふざけた候補者とかもいるのだけれど、たとえ当選していなくても何万と票を獲得することがある。自分に一切ない考えを持つ人が数万も居ることを知るのはとても面白い。世界は広い。ここ数年はSNSでの揺動も明らかで、それがどんな結果を産むのか、社会実験的でとても面白い。こういった世間と自分の感覚の、あわさっているところとずれているところを確認するには、選挙に参加して何かしら1票を投じたほうが良いのだ。

選挙に行けと言われたら、「④投票行動自体から得られる利得」を煽れるかもしれない。
でもやはり、①×②-③がたしかにマイナスになってしまうのだから、他人に言われてプラスに転じるほどの④なんて、自分で納得をつけるしかない。
選挙に行くのが当然と考えている人も、自身の④を考えるのは面白いのではないだろうか。

さて、ここで②が100%で、あなたの票で選挙の勝敗が決まるとしよう。
投票行動自体への利得を考えず、「①候補者の当選により得られる利得(効用)」だけで選挙に行けるとしたら、
①はあなたにとってなんだろうか。

経済学では「効用」を最大化するために人は動く、ということが基本前提だ。

経済やら統計やらいうとなんだか冷たいことのような気がする。
しかし、この「効用」と言われるものにはいろいろなものが詰まっている。
もちろん金銭であることもあれば、利他であることもある、心理学的な安心感も「効用」に入ることがある。
どれだけ利得があっても時間によって減ったりする…といったことも経済学では示されるし、
「めんどくさいから」、「認知できなかったから」、お金の面としては損であっても「効用」が高いために変な選択肢を選ぶこともあるだろう。
得ってなんだろうね、どうしたら得に感じるんだろうね、みたいな面が経済学にはある。

だから「①候補者の当選により得られる利得(効用)」というのは必ずしも自分の金になることではなくてもいい。
じゃあ、①にあなたは何を見る?という話である。

私は基本的には無党派で、その時々で投票先を変えている。

私の利得>周囲の利得>無知のヴェールに立った時に助けたい他人利得、の順番で投票行動を決めることが多い。
極端な話、たとえ可哀想な他人を救えようが、「独身は収入の80%を差し出せ」、という候補者には入れない。そこまで利他に効用を感じるなら、政治に頼らずとも私は収入の80%を寄付する。

次に、周りのお友達が得になるようなことを考える。インターネットの友達とか高校の友達とかの普段の生活から推し量り、お得になるといいですねと考えながら政策を眺めている。

最後に、他人の利得を考える。

他人の利得を考える時、私は無知のヴェールを被る。
これは、ロールズが「正義論」で記した概念を流用した考えだ。

無知のヴェールを被っている時、私自身が何者か、どのような健康状態か、どのような特性を持っているか、どのようなディスアドバンテージがあるかわからない。
例えば、無知のヴェールを脱いでみれば、恋愛至上主義のヘテロかもしれない。この世は恋愛ができるヘテロが多いらしいので、その可能性は大いにある。

そんな無知のヴェールを被っている時、あるべきと考える福祉を公平の基準とする…といった具合である。
どのような私かわからない時に、どこをセーフティーネットにしたいか、どこまでいったらやりすぎなのか。無知のヴェールの概念として多少誤っているかもしれないが、自分の利益や友達の利益を考えた後は、無知のヴェールをかぶった自分の正義を思い返す。

現実では、①×②-③はどこまでいってもマイナスである。
でも、このモデルをプラスにしてくれる④には、こういった①を考える時間が含まれるのである。

別にこの投稿を見てくれた人がどこに投票したって全く構わない。
なんなら投票しなくたっていい。私にはあなたの①×②-③を覆す④は提供できない。

もちろん国政は大事だろう。しかし、選挙においては、何も及ぼさない私の1票より、あなたの④と①に関心を持つ。
でも、あなたの①を知ることができない私は、選挙特番を眺めて世の①を知ることを楽しむのである。
よければ、あなたの「④投票行動自体から得られる利得」について、何かあれば教えてください。

畳む

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