2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
聖志摩ってシてそうでエロいなの話(内容がわたしの性欲まみれで最悪です)
聖志摩のセフレ感がエロい。聖志摩は当然セフレじゃないのだけれど、セフレのような関係にも関わらずセックスしているからこその正妻の余裕を見せる志摩子って感じがして、エロい。
そもそも聖さまが志摩子に目をつけたのも、志摩子の栞に似た雰囲気に一目惚れしているからだし。蓉子が「似ている」と言った対象を栞と勘違いして力一杯否定しているあたり、栞に雰囲気が似ていると思っていたんだろう。聖さま、シスターになりたい女が性癖すぎる🥲わたしもそういう色素の薄い儚い女性が好きだよ。
でろでろに依存していた栞と二度と会えなくなるという絶望の再演になったら心が壊れちゃうので、志摩子とは距離をとるのだけど、蓉子に「志摩子は聖に似ている」と言われることをきっかけに近寄って行って志摩子にロザリオを渡す。自分が「本命」になり得ない祐巳とは異なり、お姉さまに言われた通り、本当に大切だから距離をとるようにしている。
でも聖さまって理性に逆らわない様相があるので、性欲爆発したらふつうに志摩子に手を出しそうなので一夜〜三夜ぐらい共にしてそう。というか志摩子って聖さまがセックス誘ったらなしくずしでしょう。いくら志摩子も我が強いといえど、聖さまにわりと骨抜きだし。
一夜ともにしても聖さまの態度って変わらなそうだし、志摩子もその変わらない態度をわかっていそう。この姉妹、表に見せない/口に出さない依存と理解と繋がりがあり、その陰っぽい感じが淫靡だよ〜。表に出ている様相が明らかでないからこそ、ヤってそうでエロい、聖志摩。
聖祐巳はそもそも祥子のことを祐巳が一番愛しており、それを聖さまもわかっているのでセックスしてなさそう。別に祥子と祐巳の間が恋愛関係でなくても、祐巳にしてみれば浮気だろうし。
祐巳はからかいがいがあるからという他に、祥子がいるので自分は本命にならなくてすむという安心感があるからこそ、聖さまは祐巳にたいしてあのベタベタ距離だと思うんだよね。だからこそWillで祐巳から口元にキスした時の衝撃が強いし、意外すぎて聖さまドキドキしただろうな。白薔薇系譜の激モテメロ女が聖だとしたら、赤薔薇系譜の激モテメロ女って祐巳だし………メロメロ女対決すぎるね
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聖志摩のセフレ感がエロい。聖志摩は当然セフレじゃないのだけれど、セフレのような関係にも関わらずセックスしているからこその正妻の余裕を見せる志摩子って感じがして、エロい。
そもそも聖さまが志摩子に目をつけたのも、志摩子の栞に似た雰囲気に一目惚れしているからだし。蓉子が「似ている」と言った対象を栞と勘違いして力一杯否定しているあたり、栞に雰囲気が似ていると思っていたんだろう。聖さま、シスターになりたい女が性癖すぎる🥲わたしもそういう色素の薄い儚い女性が好きだよ。
でろでろに依存していた栞と二度と会えなくなるという絶望の再演になったら心が壊れちゃうので、志摩子とは距離をとるのだけど、蓉子に「志摩子は聖に似ている」と言われることをきっかけに近寄って行って志摩子にロザリオを渡す。自分が「本命」になり得ない祐巳とは異なり、お姉さまに言われた通り、本当に大切だから距離をとるようにしている。
でも聖さまって理性に逆らわない様相があるので、性欲爆発したらふつうに志摩子に手を出しそうなので一夜〜三夜ぐらい共にしてそう。というか志摩子って聖さまがセックス誘ったらなしくずしでしょう。いくら志摩子も我が強いといえど、聖さまにわりと骨抜きだし。
一夜ともにしても聖さまの態度って変わらなそうだし、志摩子もその変わらない態度をわかっていそう。この姉妹、表に見せない/口に出さない依存と理解と繋がりがあり、その陰っぽい感じが淫靡だよ〜。表に出ている様相が明らかでないからこそ、ヤってそうでエロい、聖志摩。
聖祐巳はそもそも祥子のことを祐巳が一番愛しており、それを聖さまもわかっているのでセックスしてなさそう。別に祥子と祐巳の間が恋愛関係でなくても、祐巳にしてみれば浮気だろうし。
祐巳はからかいがいがあるからという他に、祥子がいるので自分は本命にならなくてすむという安心感があるからこそ、聖さまは祐巳にたいしてあのベタベタ距離だと思うんだよね。だからこそWillで祐巳から口元にキスした時の衝撃が強いし、意外すぎて聖さまドキドキしただろうな。白薔薇系譜の激モテメロ女が聖だとしたら、赤薔薇系譜の激モテメロ女って祐巳だし………メロメロ女対決すぎるね
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マリア様が見てるに再燃しています。
小学6年生の時、姉の本棚から盗み見たマーガレット版の「マリアさまが見てる」から世界に引き込まれ、そのまま原作小説を読みました。
ロザリオを用いた姉妹制度にものすごく憧れて、ロザリオを欲したものです。特に、志摩子さまが大好きで、あの頃から綺麗で可愛くて色素が薄くてふわふわで優雅な女性が好きだったなと今振り返れます。
今回アニメ版を初めて見ました。本当にあの頃とイメージ違わない声と、そして聖さまのキャラデザの良さに心躍り、なにより瞳子の揺れ動きが気になりすぎて、「仮面のアクトレス」から最後まで小説で読もうと思っています。
小学校の私は、「友達が受験するから」という邪な動機で中学受験を志しました。こんなふざけた動機で高い学費を払ってくれた両親には頭が上がりません。そんな動機なので、後に入学することになる志望校のことを最初は名前しか知りませんでした。受験をすると決めた後、目指している志望校の始業の挨拶が「ごきげんよう」で、制服がセーラー服であることを知った時、本当にあこがれのマリア様がみてるの世界のように感じてとても嬉しく、志望校が本当に志望校になった契機だったなと覚えています。
まあ実際、女子校は男性がいない分、よく言えばジェンダー規範にとらわれない、悪く言えば野生のように育つので、「ごきげんよう」も「ぇんょ〜」に変わるようなはしたない人間になったわけだけれど。女子校に入って、演劇部に入ったから今の自分があると自負していますが。
狛日で同人活動を始めてから4年間、アニメ見たり漫画読んだりもしていたけれど、ここ4年原稿が余暇のメインで、他はサブ的な楽しみをしていました。平日も、休日も、空き時間は基本的に原稿の日々でした。
9月の原稿が終わり、次はあえてイベントをスキップして7月参加にしようと思っています。久々に原稿を焦る必要がない状態です。なんだか所在なく、そしてやりたいことをできるという気持ちで楽しみです。まだ寄稿があるけど。
ひとつ、やりたいこととして、懐かしさと、面白さを楽しみつつ「マリア様がみてる」を最後まで完走しようと思います。
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小学6年生の時、姉の本棚から盗み見たマーガレット版の「マリアさまが見てる」から世界に引き込まれ、そのまま原作小説を読みました。
ロザリオを用いた姉妹制度にものすごく憧れて、ロザリオを欲したものです。特に、志摩子さまが大好きで、あの頃から綺麗で可愛くて色素が薄くてふわふわで優雅な女性が好きだったなと今振り返れます。
今回アニメ版を初めて見ました。本当にあの頃とイメージ違わない声と、そして聖さまのキャラデザの良さに心躍り、なにより瞳子の揺れ動きが気になりすぎて、「仮面のアクトレス」から最後まで小説で読もうと思っています。
小学校の私は、「友達が受験するから」という邪な動機で中学受験を志しました。こんなふざけた動機で高い学費を払ってくれた両親には頭が上がりません。そんな動機なので、後に入学することになる志望校のことを最初は名前しか知りませんでした。受験をすると決めた後、目指している志望校の始業の挨拶が「ごきげんよう」で、制服がセーラー服であることを知った時、本当にあこがれのマリア様がみてるの世界のように感じてとても嬉しく、志望校が本当に志望校になった契機だったなと覚えています。
まあ実際、女子校は男性がいない分、よく言えばジェンダー規範にとらわれない、悪く言えば野生のように育つので、「ごきげんよう」も「ぇんょ〜」に変わるようなはしたない人間になったわけだけれど。女子校に入って、演劇部に入ったから今の自分があると自負していますが。
狛日で同人活動を始めてから4年間、アニメ見たり漫画読んだりもしていたけれど、ここ4年原稿が余暇のメインで、他はサブ的な楽しみをしていました。平日も、休日も、空き時間は基本的に原稿の日々でした。
9月の原稿が終わり、次はあえてイベントをスキップして7月参加にしようと思っています。久々に原稿を焦る必要がない状態です。なんだか所在なく、そしてやりたいことをできるという気持ちで楽しみです。まだ寄稿があるけど。
ひとつ、やりたいこととして、懐かしさと、面白さを楽しみつつ「マリア様がみてる」を最後まで完走しようと思います。
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プロフィールから「左右固定」表記を外している
実は結構ゴリゴリの左右固定で、描くのだけでなく見るのも左右固定である。
一時期はプロフィール左右固定明記の狛日しか見ていなかった。プロフィールにABA表記があったり非固定表記があったりすると、ミュート/リムーブしている。
この有様なので、左右固定表明を安心材料にする気持ちはすごくわかるし、わたしも安心材料として見ている。
ただ、左右固定のうち、特に糖度が高いイチャラブが好きな人が私のことフォローすると、糖度避け要素の高いわたしの言動に対して嫌な思いをすることが多いのでプロフィールから除いている。
狛日なら全て読めるものの、左右固定者の中では好みが少数派である。
左右固定というより、狛→日固定なことが転じて左右固定である。矢印が逆になるような描写であれば、狛日だろうとあまり興味がない。狛の支配欲・マウント欲を含む欲を受け止められる男、つまりセックスの際に掘られることに同意してくれるチャンスがある男として日向を見ている。そしてプライドが高くて欲望(ここでは日向の支配とマウント)を完遂する知的な男・狛枝が好きだから、左右固定なのだ。
だからこそ、狛日であろうが「性愛・恋愛に絞った矢印において」狛→←日も狛←日もあまり興味がない。その状況でパートナーとなるに至る日向から狛枝への感情や関係性の変化(拵え)は大好き。
苦手ではなく興味がない、逆もリバも興味がない別物として見ている…という感じなので、「地雷」というほど過激ではない。興味あるものの中に全く興味ないものが混ざっているから自衛しているという感じ。
一方、難しいのが私のようなやつの好みは「左右不定」に多い。左右は「どうでもいい」、つまり、「どっちでも好き」ではなくそもそもセックスの解釈が描写において不要なのでどうでもいい…という人が一番好みの狛日を描いてくださる。
しかしこの世に「左右不定」の表現は流行っておらず、「左右非固定」と表現されるのだ。しかし、現状「左右非固定」の世界は「どっちでも好き」の人の方が俄然多い。
「どっちも好き」の中でも、好きな男の受け描写がとにかく好きな人、まあいわゆる雑食の方はふたりの矢印なんてどっちでもいいし、その上「性自認の否定」や「過激な表現」を用いる人が多いので、興味がないどころか苦手まで感じてしまう場合がある。難儀だ。
https://subro36.sub.jp/wordpress/komahi_...
最近プロフィールに「左右固定」と描いてなくても、「狛日」というラベリングがされた作品を見るようになったのは、この世から「左右不定」というドンピシャ好みを探すための前進である。
しかし、私が左右不定を名乗れるのかというと、完全に左右固定なので、救えない。
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実は結構ゴリゴリの左右固定で、描くのだけでなく見るのも左右固定である。
一時期はプロフィール左右固定明記の狛日しか見ていなかった。プロフィールにABA表記があったり非固定表記があったりすると、ミュート/リムーブしている。
この有様なので、左右固定表明を安心材料にする気持ちはすごくわかるし、わたしも安心材料として見ている。
ただ、左右固定のうち、特に糖度が高いイチャラブが好きな人が私のことフォローすると、糖度避け要素の高いわたしの言動に対して嫌な思いをすることが多いのでプロフィールから除いている。
狛日なら全て読めるものの、左右固定者の中では好みが少数派である。
左右固定というより、狛→日固定なことが転じて左右固定である。矢印が逆になるような描写であれば、狛日だろうとあまり興味がない。狛の支配欲・マウント欲を含む欲を受け止められる男、つまりセックスの際に掘られることに同意してくれるチャンスがある男として日向を見ている。そしてプライドが高くて欲望(ここでは日向の支配とマウント)を完遂する知的な男・狛枝が好きだから、左右固定なのだ。
だからこそ、狛日であろうが「性愛・恋愛に絞った矢印において」狛→←日も狛←日もあまり興味がない。その状況でパートナーとなるに至る日向から狛枝への感情や関係性の変化(拵え)は大好き。
苦手ではなく興味がない、逆もリバも興味がない別物として見ている…という感じなので、「地雷」というほど過激ではない。興味あるものの中に全く興味ないものが混ざっているから自衛しているという感じ。
一方、難しいのが私のようなやつの好みは「左右不定」に多い。左右は「どうでもいい」、つまり、「どっちでも好き」ではなくそもそもセックスの解釈が描写において不要なのでどうでもいい…という人が一番好みの狛日を描いてくださる。
しかしこの世に「左右不定」の表現は流行っておらず、「左右非固定」と表現されるのだ。しかし、現状「左右非固定」の世界は「どっちでも好き」の人の方が俄然多い。
「どっちも好き」の中でも、好きな男の受け描写がとにかく好きな人、まあいわゆる雑食の方はふたりの矢印なんてどっちでもいいし、その上「性自認の否定」や「過激な表現」を用いる人が多いので、興味がないどころか苦手まで感じてしまう場合がある。難儀だ。
https://subro36.sub.jp/wordpress/komahi_...
最近プロフィールに「左右固定」と描いてなくても、「狛日」というラベリングがされた作品を見るようになったのは、この世から「左右不定」というドンピシャ好みを探すための前進である。
しかし、私が左右不定を名乗れるのかというと、完全に左右固定なので、救えない。
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燕は戻ってこない(ちょっとだけラストマイルの話もしている)
貧困女性への搾取描写を描いていることに息苦しさの伴う尊敬があった。金の価値があまりに高く、金で身体と精神の売買を正当化できる異常さ。
女の方が割合の多い貧困という苦境からの一発逆転が、自分の命と心を金にすることによって成し得てしまう現実が苦しい。
ラストマイルでも思ったが、この世界で便利に生きているとどうしてもどこかに貧困者の搾取が存在して、自分が加担している息苦しさがある。男女関わらず。その現実を知ってなお、利便性を手放せない自分を、自分は心から非難できない。きっと今も、誰かの何かを踏み躙っているのだろうが、実感が遠く、今の生活をやめられない。そういった搾取という罪の自覚をありありと描いて意見を表明するのはすごいことで、「燕は戻ってこない」の作家・ドラマに携わった人たちを尊敬する。
登場人物全員エゴイスティックで批難すべきところはあるけれど、誰しもがエゴイスティックであるから誰も評価などできないというところがとてもよかった。
特に、愚かな行為をするリキの描き方は圧巻だ。代理母の契約を破って酒を煽る、排卵日前に他の男とセックスをするのははっきりいって”呆れる”行為だ。しかしリキの行動もなんとなくわかる。自分がモノとして管理されている中、自分は人間だと主張する抵抗であり、自分をモノとして扱う富裕者に対する対抗だ。そして自らリスクを上げても、欲しい結果を得られるはずの幸運な者だと信じたかった願いだとも思う。そういう、一時的な興奮を優先したエゴにとても惹かれた。最後にリキは、双子のうちの”女”であるぐらだけを連れ去る。リキは女という地獄をいやというほど味わったにも関わらず、「草桶家で幸せに生きる」を男であるぐりに与えて女のぐらを貧困に道連れにした。リキの短期的な景色しか見えていないエゴを表しており素晴らしい。貧困層は長期的に得な選択を取れない。10個まとめて1000円は買えず、単価120円の1個しか買えない。目の前の生活を生きていくしかないし、目の前の楽に思考が持っていかれてしまう。裕福な他人から見たら浅はかかもしれないけど、そうしてリキも生きてきたのだ。きっとぐらを連れた先も、リキが生きてきた道からは逃れられないと思うと、どうしようもなく悲しい。
また、物語の中で優しく理知的に見えた悠子が、終始うまく倫理観のない掌返しをするもさまもよかった。流産経験の恐怖から誰の子かわからない子を堕胎するなといい、夫が代理母を人扱いしない様に嫌気がさして離婚を申し出ながら、子を見た瞬間に「ほしい」という。同じエゴなのに、こうもリキと悠子で見え方が違って良いものか。
私は、フィクションにおいて人間が行なった選択が、選択通りの帰結を呼ぶ話がとても好きだ。1に1を足すことを選んだら、2になる。奇跡が起きて3になることはない、そういう話が好きだ。
しかし、現実では意思をもって選択した結果、不都合な事実が待っていても「お前が選んだことだから責任を取れ」などと言えないと考えさせられた。貧困によって長期的な眺望を奪われたリキの行動を「あなたが選んだことだから」で正当化できるわけがない。選択によってもたらされた現実は変わらないけれど、不都合な現実を目の当たりにした時に、選択した人を非難するのでは無く不都合な現実が生まれてしまう仕組みを非難したいし、よりよい未来を選べる方法を考えたい。
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貧困女性への搾取描写を描いていることに息苦しさの伴う尊敬があった。金の価値があまりに高く、金で身体と精神の売買を正当化できる異常さ。
女の方が割合の多い貧困という苦境からの一発逆転が、自分の命と心を金にすることによって成し得てしまう現実が苦しい。
ラストマイルでも思ったが、この世界で便利に生きているとどうしてもどこかに貧困者の搾取が存在して、自分が加担している息苦しさがある。男女関わらず。その現実を知ってなお、利便性を手放せない自分を、自分は心から非難できない。きっと今も、誰かの何かを踏み躙っているのだろうが、実感が遠く、今の生活をやめられない。そういった搾取という罪の自覚をありありと描いて意見を表明するのはすごいことで、「燕は戻ってこない」の作家・ドラマに携わった人たちを尊敬する。
登場人物全員エゴイスティックで批難すべきところはあるけれど、誰しもがエゴイスティックであるから誰も評価などできないというところがとてもよかった。
特に、愚かな行為をするリキの描き方は圧巻だ。代理母の契約を破って酒を煽る、排卵日前に他の男とセックスをするのははっきりいって”呆れる”行為だ。しかしリキの行動もなんとなくわかる。自分がモノとして管理されている中、自分は人間だと主張する抵抗であり、自分をモノとして扱う富裕者に対する対抗だ。そして自らリスクを上げても、欲しい結果を得られるはずの幸運な者だと信じたかった願いだとも思う。そういう、一時的な興奮を優先したエゴにとても惹かれた。最後にリキは、双子のうちの”女”であるぐらだけを連れ去る。リキは女という地獄をいやというほど味わったにも関わらず、「草桶家で幸せに生きる」を男であるぐりに与えて女のぐらを貧困に道連れにした。リキの短期的な景色しか見えていないエゴを表しており素晴らしい。貧困層は長期的に得な選択を取れない。10個まとめて1000円は買えず、単価120円の1個しか買えない。目の前の生活を生きていくしかないし、目の前の楽に思考が持っていかれてしまう。裕福な他人から見たら浅はかかもしれないけど、そうしてリキも生きてきたのだ。きっとぐらを連れた先も、リキが生きてきた道からは逃れられないと思うと、どうしようもなく悲しい。
また、物語の中で優しく理知的に見えた悠子が、終始うまく倫理観のない掌返しをするもさまもよかった。流産経験の恐怖から誰の子かわからない子を堕胎するなといい、夫が代理母を人扱いしない様に嫌気がさして離婚を申し出ながら、子を見た瞬間に「ほしい」という。同じエゴなのに、こうもリキと悠子で見え方が違って良いものか。
私は、フィクションにおいて人間が行なった選択が、選択通りの帰結を呼ぶ話がとても好きだ。1に1を足すことを選んだら、2になる。奇跡が起きて3になることはない、そういう話が好きだ。
しかし、現実では意思をもって選択した結果、不都合な事実が待っていても「お前が選んだことだから責任を取れ」などと言えないと考えさせられた。貧困によって長期的な眺望を奪われたリキの行動を「あなたが選んだことだから」で正当化できるわけがない。選択によってもたらされた現実は変わらないけれど、不都合な現実を目の当たりにした時に、選択した人を非難するのでは無く不都合な現実が生まれてしまう仕組みを非難したいし、よりよい未来を選べる方法を考えたい。
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2024年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
岡田将生とわたしが逃れられない外見主義(虎に翼、ラストマイルネタバレ含む)
岡田将生さんが好きだ。岡田将生さんほど、非常に整った外見であるものの、性格に欠陥があるせい(お陰)で通常の人間と同程度に扱われる役柄が合う人はいない。
例えば、「星の子」における先生、「大豆田とわ子と3人の元夫」における慎森のように。顔はいいが、性格に難があるから通常の生活を続けてられるんだろうなというキャラクターの性質を瞬時にわからせられる役者はそういない。
今ルッキズムは非難の倫理観として語られるし、わたしもやはり正常でありたいので人を外見で判断しないように心がけている。
しかし岡田将生さんを見ると自分の中のルッキズムがメキメキ生えてくる。振り返ると、あーあ、と、自分にがっかりする。
「虎に翼」の星航一として岡田将生さんは出演されている。もともと「虎に翼」の話が大好きで、知り合いの誰一人として語る人がいない中で「虎に翼」がいかに面白く素晴らしい脚本であるかろくろを回していた。しかし、星航一(演:岡田将生)が出てからは、岡田将生の顔が良すぎる…とテレビの前できゃあきゃあするばかり。おそらく私に限ったことではなく、虎に翼 タグを眺めていても、「岡田将生の顔の良さに頼る星航一」の感想がよく出てくる。最近の星航一は岡田将生さんの顔の良さでも補えないようだが。
まあ、つまるところ家庭を顧みない男(おじさん)星航一に岡田将生さんの顔のバフがかかることで話のノイズになっているのだ。登場週付近の「虎に翼」を見ていると、ルッキズムを捨てられない自分に気づいてしまう。
「ラストマイル」にて岡田将生さんが出演している。彼はなんてことない若者で、物語の中でエレナ(演:満島ひかり)の働く背中を見てちょっと頑張る役という感じで、話の中でビビッドな成長を遂げるわけではない。あえて逆説を使うが、しかし、顔が日常ではあり得ないほど美しい。なんというか、岡田将生の演技ってこんなに生を得てなかったっけ?となった。普通の、労働環境ににぶい青年に見えない。この役、もっと凡な演技が上手い役者立てたほうが良かったのでは?
窪田正孝さんはもうMIUで六郎として出ているから使えないけど。なら風間俊介さんとかどうですか。濱田岳さんとか。松下洸平さんも頭をよぎったけれどMIUで捕まる殺人犯でしたね…。今上げた役者は顔がどうではなく、私は彼らの演技が本当に好きなのだ。顔がノイズになることがない。ルッキズムを発揮してしまう役者、本当に岡田将生だけなんだ。
でも、演技を懸命にしているのに美しすぎる顔が演技のノイズになって、何をしても評価が顔に終着してしまう自分の考えが本当にキツい、彼は役者なのに。「星の子」の先生、本当に嫌なやつでよかったと思うのに、「ラストマイル」の演技は役があってなかったなと思うのだ、演技力は今の方が磨かれているはずなのに。
岡田将生さんを外見抜きで、演技で、作品で評価できるようになるまでルッキズムが潰えたとは言えない。わたしはルッキズムが憎らしいのに。あーあ。となる。
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岡田将生さんが好きだ。岡田将生さんほど、非常に整った外見であるものの、性格に欠陥があるせい(お陰)で通常の人間と同程度に扱われる役柄が合う人はいない。
例えば、「星の子」における先生、「大豆田とわ子と3人の元夫」における慎森のように。顔はいいが、性格に難があるから通常の生活を続けてられるんだろうなというキャラクターの性質を瞬時にわからせられる役者はそういない。
今ルッキズムは非難の倫理観として語られるし、わたしもやはり正常でありたいので人を外見で判断しないように心がけている。
しかし岡田将生さんを見ると自分の中のルッキズムがメキメキ生えてくる。振り返ると、あーあ、と、自分にがっかりする。
「虎に翼」の星航一として岡田将生さんは出演されている。もともと「虎に翼」の話が大好きで、知り合いの誰一人として語る人がいない中で「虎に翼」がいかに面白く素晴らしい脚本であるかろくろを回していた。しかし、星航一(演:岡田将生)が出てからは、岡田将生の顔が良すぎる…とテレビの前できゃあきゃあするばかり。おそらく私に限ったことではなく、虎に翼 タグを眺めていても、「岡田将生の顔の良さに頼る星航一」の感想がよく出てくる。最近の星航一は岡田将生さんの顔の良さでも補えないようだが。
まあ、つまるところ家庭を顧みない男(おじさん)星航一に岡田将生さんの顔のバフがかかることで話のノイズになっているのだ。登場週付近の「虎に翼」を見ていると、ルッキズムを捨てられない自分に気づいてしまう。
「ラストマイル」にて岡田将生さんが出演している。彼はなんてことない若者で、物語の中でエレナ(演:満島ひかり)の働く背中を見てちょっと頑張る役という感じで、話の中でビビッドな成長を遂げるわけではない。あえて逆説を使うが、しかし、顔が日常ではあり得ないほど美しい。なんというか、岡田将生の演技ってこんなに生を得てなかったっけ?となった。普通の、労働環境ににぶい青年に見えない。この役、もっと凡な演技が上手い役者立てたほうが良かったのでは?
窪田正孝さんはもうMIUで六郎として出ているから使えないけど。なら風間俊介さんとかどうですか。濱田岳さんとか。松下洸平さんも頭をよぎったけれどMIUで捕まる殺人犯でしたね…。今上げた役者は顔がどうではなく、私は彼らの演技が本当に好きなのだ。顔がノイズになることがない。ルッキズムを発揮してしまう役者、本当に岡田将生だけなんだ。
でも、演技を懸命にしているのに美しすぎる顔が演技のノイズになって、何をしても評価が顔に終着してしまう自分の考えが本当にキツい、彼は役者なのに。「星の子」の先生、本当に嫌なやつでよかったと思うのに、「ラストマイル」の演技は役があってなかったなと思うのだ、演技力は今の方が磨かれているはずなのに。
岡田将生さんを外見抜きで、演技で、作品で評価できるようになるまでルッキズムが潰えたとは言えない。わたしはルッキズムが憎らしいのに。あーあ。となる。
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映画、「ラストマイル」を観ました(☆2くらいの感想)
☆2というのは、面白いしエンタメではあるのだけれど、これだけたくさん観られて感想が見受けられる割に、他一般の名作と言われる映画ほど絶賛には値しないかな〜くらいの☆2
俳優陣が豪華で演技が上手いので、演技に対する見応えはあった。満島ひかりさんって芸達者で華やかな俳優だ。
他アンナチュラル組やMIU404組もよかったし、演技も相まってキャラものとしては100点だと思う。
あと画が気持ちよかった。暗く青みがかかった倉庫内に、補色であるオレンジが綺麗に映えている画や各所構図はものすごく気持ちよかった。
けど、野木さんのドラマチックさは映画だと若干間延びするな〜という印象があった。明らかに三幕構成すぎて展開が見えていたというのも大きい。中間地点でエレナ(演:満島ひかり)に疑惑がかかるところとか、明らかに今後疑いが晴れてカタルシスが待っているだろうな…と予期できてしまった一方、犯人の描写が上映時間の中でも少ないのでそこまで情を入れ込めるわけじゃなくて映画的な気持ちいいカタルシスはないというか…。別に映画にカタルシスは必須ではないけれど、野木さんはけっこうカタルシスを描いた上で問題提起を残していく作家だと思っていたからこそ、映画の長尺に対して味が薄くてちょっと残念。
ただ、私の中で「労働環境」という空気に近い敵は個人ごときに依拠しないという意識が強いからかもしれない。現行の偉い人に責任を負わせたとて…という感じである。ディーンフジオカが演じた役や、アジア統括でも、会社の利益という空気には抗えない。そこに責任を転嫁してどうするの?という感情があり、二人が責任を追われても別に「労働環境」という空気の悪魔が拭える訳じゃない。やばい環境って悪だよね、という警鐘は伝わるけど、それって責任者を討伐したら変わるの?という疑問がモヤついているからカタルシスがないのかもしれない。難しいな。普段我々が利益を搾取している物流関係の労働環境の悪さへの警鐘は伝わったので、伝わった時点で映画のテーマ性の伝達はクリアしている。労働環境の悪さとそれを搾取する消費者って映画で解決を出せる問題ではないけど、それを投げかけられてもじゃあどうしろと?っていう感じもあるのかな。
あと、主役のひとりである岡田将生のキャラが印象が薄く、特別に成長などもないのも惜しい…。気だるげな若者な割にはエレナを追い詰める謎の正義感があったり、エレナの事情を聞いて共感したりするよくわからないキャラだてだった。満島ひかりの徹底したサブポジだったのかもしれないけど。
全体的に、俳優はすごいし画もすごいけど、若干間延びしている割にはカタルシスがないので、他にもっと名作はあるだろ〜という感じの星2。
あとジャンプスケアが苦手なので、爆発の予期はあってもドッカンドッカンがすっごいきつくて途中で気絶するかと思った。
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☆2というのは、面白いしエンタメではあるのだけれど、これだけたくさん観られて感想が見受けられる割に、他一般の名作と言われる映画ほど絶賛には値しないかな〜くらいの☆2
俳優陣が豪華で演技が上手いので、演技に対する見応えはあった。満島ひかりさんって芸達者で華やかな俳優だ。
他アンナチュラル組やMIU404組もよかったし、演技も相まってキャラものとしては100点だと思う。
あと画が気持ちよかった。暗く青みがかかった倉庫内に、補色であるオレンジが綺麗に映えている画や各所構図はものすごく気持ちよかった。
けど、野木さんのドラマチックさは映画だと若干間延びするな〜という印象があった。明らかに三幕構成すぎて展開が見えていたというのも大きい。中間地点でエレナ(演:満島ひかり)に疑惑がかかるところとか、明らかに今後疑いが晴れてカタルシスが待っているだろうな…と予期できてしまった一方、犯人の描写が上映時間の中でも少ないのでそこまで情を入れ込めるわけじゃなくて映画的な気持ちいいカタルシスはないというか…。別に映画にカタルシスは必須ではないけれど、野木さんはけっこうカタルシスを描いた上で問題提起を残していく作家だと思っていたからこそ、映画の長尺に対して味が薄くてちょっと残念。
ただ、私の中で「労働環境」という空気に近い敵は個人ごときに依拠しないという意識が強いからかもしれない。現行の偉い人に責任を負わせたとて…という感じである。ディーンフジオカが演じた役や、アジア統括でも、会社の利益という空気には抗えない。そこに責任を転嫁してどうするの?という感情があり、二人が責任を追われても別に「労働環境」という空気の悪魔が拭える訳じゃない。やばい環境って悪だよね、という警鐘は伝わるけど、それって責任者を討伐したら変わるの?という疑問がモヤついているからカタルシスがないのかもしれない。難しいな。普段我々が利益を搾取している物流関係の労働環境の悪さへの警鐘は伝わったので、伝わった時点で映画のテーマ性の伝達はクリアしている。労働環境の悪さとそれを搾取する消費者って映画で解決を出せる問題ではないけど、それを投げかけられてもじゃあどうしろと?っていう感じもあるのかな。
あと、主役のひとりである岡田将生のキャラが印象が薄く、特別に成長などもないのも惜しい…。気だるげな若者な割にはエレナを追い詰める謎の正義感があったり、エレナの事情を聞いて共感したりするよくわからないキャラだてだった。満島ひかりの徹底したサブポジだったのかもしれないけど。
全体的に、俳優はすごいし画もすごいけど、若干間延びしている割にはカタルシスがないので、他にもっと名作はあるだろ〜という感じの星2。
あとジャンプスケアが苦手なので、爆発の予期はあってもドッカンドッカンがすっごいきつくて途中で気絶するかと思った。
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自分の恋愛指向がおそらくデミロマンティックであり、独身のまま一生を過ごすんだろうなと腹括っている話
注:デミロマンティックとは
感情的な絆や信頼関係が築かれている関係の人に対してのみ、まれに恋愛感情を抱くセクシュアリティのこと
https://ideasforgood.jp/glossary/demirom...
24〜25歳くらいの時、自分は一生結婚しないと思った。そして、独身には簡単に参考にできる人生のレールなどなく、自分でちゃんと考えなければ人生を生き切ることは難しいかもしれないと悟った。一生を誓う機会も、出産も、人生の歩き方を相談する相手もいない、次のライフステージは大病か退職であり、人生の相談相手は自分の意思だ。
周りを見れば、世の中の人たちはパートナーがほしいと思う人が「ふつうに」多い。そして、自分はそちら側ではないなと悟った。別に毎日が楽しいから、一人でも生きていけるからパートナーはいらない、とかではなく、本当に恋愛というものがどういうものか覚えていない。そして誰かの特別になりたいという意欲がない。
横道にそれるが、大学時代にメンヘラにわりと面倒なくらい追われたことがある。恋愛指向以前に、それ以降人に特別視されることに辟易している。誰かに特別視されて愛を注がれても、自分は同等の愛を返せないので重荷になるばかりだ。メンヘラ嫌いの元凶はこいつである。
なお、アロマンティック(恋愛感情がない恋愛指向)ではない。8年前くらいにはパートナーがいたこともある。親友から発展した最初のパートナーは恋愛的に好きだった記憶もある。それ以降恋愛感情を抱いたことはない。
なお、性的指向は不明だ。恋愛しないから現実の心の揺れがなく、コンテンツにしか性欲が向かない。コンテンツの傾向を見るに、おそらく性的指向はバイかヘテロか……。恋愛を経なければ対人で性欲を発揮することがないので不明である。
社会人になりそもそも深い精神的繋がりを得るような出会いもない。そもそも仲良くなったら高確率で恋愛に発展するわけでもないので、まあ結婚はしないだろうなと腹を括っている。
腹を括るとは何かというと、独りで生きる覚悟とは少し違う。独身を生きる覚悟である。
ひとつは、独りにならないように気の合う周囲の人たちは大切にしようという覚悟だ。
人は一人では生きられない。社会の構造としてだけではなく、わたしは独りでは精神的に生きられないと悟っている。SNSをやっているような人間はどう足掻いても誰かと繋がっていたいのだ。本当にひとりでいいならSNSなどやめている。
誰とでも仲良くする、というより、好きな人たちを大事にしたいな〜という誓いである。私と違って、結婚する友人もいるけれど、わたしとあなたはわたしとあなたでいたいし、結婚してもしなくても、わたしはただのわたしとしてそこに居るからね、という誓いでもある。
そして経済的な覚悟と、家族というつながりが今しかないという覚悟だ。実家暮らししている大きな理由でもある。
お金を貯めなければ今後誰も自分を支えてくれない。他人がどう後ろ指を刺そうと私は人生を謳歌しながら、ありがたいことに東京近郊にある実家で暮らしてお金を貯める。できれば実家を相続したい。衣食住の「住」大きすぎる。姉に払う相続分与のお金、修繕費、相続税分は貯めなきゃなと思っている。計算したら思ったより高額でくくった腹がたわむ。「住」、なんと大きいことか。
そして、両親(と姉)がわたしの最後の家族だと思っており、大切にしている。特に母は大事にしている。せっかくお金はあるので、美味しいお菓子とか持って帰るし、いい寝具も買っちゃう。我が家族のQOLをせっせとあげることを楽しんでいる。まあお金をかけるならもっと家事で貢献した方がいい気もするが、平日はどうあがいても難しいので、とりあえずやれることをやる。
さて、私が30を前にして実家暮らしであることを堂々と言うのも、実はデミロマンティックと独身の覚悟が背景にある。
趣味を謳歌し、お金を使い、実家暮らし、悠々自適と言えるが、世間から見たら恥ずかしい女と言う人もいるであろう。でも言うし、誤魔化さない。「楽しく生きているし、実家でぬくぬく生きている」、と。
他人からの目線を恥ずかしがっていたら独りの人生なんてやっていけない。経済的にも、最後の家族という気持ちにも、そして自分の人生を楽しく生きるためにも、他人からの後ろ指に構っていてはダメなのだ。今の自分と、最後の家族を誇りに思って生きる。
そして、きっと私を見て、こんな人生でもいいかもなと思える「参考にできる人生」になるかもしれない、と思いながら「実家だよ、ずっと原稿しているよ」と言っている。
……と偉そうにいうが、まあ、東京近郊実家+稼げる職種はスーパーレアなので、「簡単に」参考にできないだろう。まあ豊かな暮らしであっても、実家に甘えていても、厚顔無恥に自分をやるしかないのだ、独身を楽しむ覚悟と一緒に。
畳む
注:デミロマンティックとは
感情的な絆や信頼関係が築かれている関係の人に対してのみ、まれに恋愛感情を抱くセクシュアリティのこと
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24〜25歳くらいの時、自分は一生結婚しないと思った。そして、独身には簡単に参考にできる人生のレールなどなく、自分でちゃんと考えなければ人生を生き切ることは難しいかもしれないと悟った。一生を誓う機会も、出産も、人生の歩き方を相談する相手もいない、次のライフステージは大病か退職であり、人生の相談相手は自分の意思だ。
周りを見れば、世の中の人たちはパートナーがほしいと思う人が「ふつうに」多い。そして、自分はそちら側ではないなと悟った。別に毎日が楽しいから、一人でも生きていけるからパートナーはいらない、とかではなく、本当に恋愛というものがどういうものか覚えていない。そして誰かの特別になりたいという意欲がない。
横道にそれるが、大学時代にメンヘラにわりと面倒なくらい追われたことがある。恋愛指向以前に、それ以降人に特別視されることに辟易している。誰かに特別視されて愛を注がれても、自分は同等の愛を返せないので重荷になるばかりだ。メンヘラ嫌いの元凶はこいつである。
なお、アロマンティック(恋愛感情がない恋愛指向)ではない。8年前くらいにはパートナーがいたこともある。親友から発展した最初のパートナーは恋愛的に好きだった記憶もある。それ以降恋愛感情を抱いたことはない。
なお、性的指向は不明だ。恋愛しないから現実の心の揺れがなく、コンテンツにしか性欲が向かない。コンテンツの傾向を見るに、おそらく性的指向はバイかヘテロか……。恋愛を経なければ対人で性欲を発揮することがないので不明である。
社会人になりそもそも深い精神的繋がりを得るような出会いもない。そもそも仲良くなったら高確率で恋愛に発展するわけでもないので、まあ結婚はしないだろうなと腹を括っている。
腹を括るとは何かというと、独りで生きる覚悟とは少し違う。独身を生きる覚悟である。
ひとつは、独りにならないように気の合う周囲の人たちは大切にしようという覚悟だ。
人は一人では生きられない。社会の構造としてだけではなく、わたしは独りでは精神的に生きられないと悟っている。SNSをやっているような人間はどう足掻いても誰かと繋がっていたいのだ。本当にひとりでいいならSNSなどやめている。
誰とでも仲良くする、というより、好きな人たちを大事にしたいな〜という誓いである。私と違って、結婚する友人もいるけれど、わたしとあなたはわたしとあなたでいたいし、結婚してもしなくても、わたしはただのわたしとしてそこに居るからね、という誓いでもある。
そして経済的な覚悟と、家族というつながりが今しかないという覚悟だ。実家暮らししている大きな理由でもある。
お金を貯めなければ今後誰も自分を支えてくれない。他人がどう後ろ指を刺そうと私は人生を謳歌しながら、ありがたいことに東京近郊にある実家で暮らしてお金を貯める。できれば実家を相続したい。衣食住の「住」大きすぎる。姉に払う相続分与のお金、修繕費、相続税分は貯めなきゃなと思っている。計算したら思ったより高額でくくった腹がたわむ。「住」、なんと大きいことか。
そして、両親(と姉)がわたしの最後の家族だと思っており、大切にしている。特に母は大事にしている。せっかくお金はあるので、美味しいお菓子とか持って帰るし、いい寝具も買っちゃう。我が家族のQOLをせっせとあげることを楽しんでいる。まあお金をかけるならもっと家事で貢献した方がいい気もするが、平日はどうあがいても難しいので、とりあえずやれることをやる。
さて、私が30を前にして実家暮らしであることを堂々と言うのも、実はデミロマンティックと独身の覚悟が背景にある。
趣味を謳歌し、お金を使い、実家暮らし、悠々自適と言えるが、世間から見たら恥ずかしい女と言う人もいるであろう。でも言うし、誤魔化さない。「楽しく生きているし、実家でぬくぬく生きている」、と。
他人からの目線を恥ずかしがっていたら独りの人生なんてやっていけない。経済的にも、最後の家族という気持ちにも、そして自分の人生を楽しく生きるためにも、他人からの後ろ指に構っていてはダメなのだ。今の自分と、最後の家族を誇りに思って生きる。
そして、きっと私を見て、こんな人生でもいいかもなと思える「参考にできる人生」になるかもしれない、と思いながら「実家だよ、ずっと原稿しているよ」と言っている。
……と偉そうにいうが、まあ、東京近郊実家+稼げる職種はスーパーレアなので、「簡単に」参考にできないだろう。まあ豊かな暮らしであっても、実家に甘えていても、厚顔無恥に自分をやるしかないのだ、独身を楽しむ覚悟と一緒に。
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大学の広報誌を止めたい。もう卒業して7年経ったのに未だにくる。ビニールに貼られた住所は剥がしにくいシールで、いつもビニールを剥いて個人情報をハサミで切り取り、プラゴミ・生ゴミ・再生紙に分別して捨てている。
今日こそ遂に、と決意を固め、広報誌を止めるべく卒業大学のホームページにアクセスしたら、学生時代の大学メールアドレスとパスワードを求められる。当然覚えていないので、再発行のページに移る。求められる個人情報の嵐である。学生時代からすっかり変わった携帯電話番号を知り、何をすると言うのだ。
今や学んだ知識を使っていない、卒業学部を入れて申請ボタンを押す。管理者の確認を要すると言う。思ったより早く届いた通知メールには、本人確認証明書をアップロードせよとの文言である。
マイナンバーカードを用意し、ページをひらけば、選択肢にあるのは「保険証」「パスポート」「住民票」「免許証」。わが政治経済学部では、行政におけるデジタル化などつゆほども習わなかったことを思い出す。
引き出しにしまわれた保険証を取り出して撮影し、アップロードする。2013.jpegと2014.jpegだ。エラーが出る。こういう公的証明書の写真をアップロードするとき、アップロードサイズを超えてしまうものであることを思い出し、エラーが出た画面を見る。拡張子が誤っているようだ。対応拡張子はjpeg、png、gifらしい。やれやれ、おかしなエラーだとイラストソフトを開き、画像を縮小しながら保存したpngをアップロードする。エラーが出た。拡張子が誤っているらしい。
私はこの大学で何を学べたのだろうか。畳む
今日こそ遂に、と決意を固め、広報誌を止めるべく卒業大学のホームページにアクセスしたら、学生時代の大学メールアドレスとパスワードを求められる。当然覚えていないので、再発行のページに移る。求められる個人情報の嵐である。学生時代からすっかり変わった携帯電話番号を知り、何をすると言うのだ。
今や学んだ知識を使っていない、卒業学部を入れて申請ボタンを押す。管理者の確認を要すると言う。思ったより早く届いた通知メールには、本人確認証明書をアップロードせよとの文言である。
マイナンバーカードを用意し、ページをひらけば、選択肢にあるのは「保険証」「パスポート」「住民票」「免許証」。わが政治経済学部では、行政におけるデジタル化などつゆほども習わなかったことを思い出す。
引き出しにしまわれた保険証を取り出して撮影し、アップロードする。2013.jpegと2014.jpegだ。エラーが出る。こういう公的証明書の写真をアップロードするとき、アップロードサイズを超えてしまうものであることを思い出し、エラーが出た画面を見る。拡張子が誤っているようだ。対応拡張子はjpeg、png、gifらしい。やれやれ、おかしなエラーだとイラストソフトを開き、画像を縮小しながら保存したpngをアップロードする。エラーが出た。拡張子が誤っているらしい。
私はこの大学で何を学べたのだろうか。畳む
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