2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
高校の友達との新年会向けにQKプレゼンを作ろうと思うのだけれど、どこを押し出すかけっこう難しいので、こねくりまわそう。
けっこう一般的に嫌・学歴優性感情ってあると思っている。なんなら大学受験を本気で取り組んだ人ほど東大を標榜することにビミョーな感情を持っているのではないか。QKはよく「東大発の知能集団」とか、「メンバーの大半が東大卒」と記されるが、そんなこと言ってもお勧め的にはネガに働く気がしている。
彼らに掲げられがちなわかりやすい価値はそこかもしれないけど、でも彼らの面白さってそこで損なわれるならプレゼンとしては不採用の要素になる。
東大標榜に嫌悪、というより、届く位置に東大据えていたことがあった人や、いわゆる東大「以下」の大学に届かなかった人にとって、おすすめする導入としては興醒めなネガポイントになり得る気がする。「東大卒」と言われて、思う感情って「おー!!すごい!」とかではなく、「ふーん、で?」である気がする。東大に受かることがすごいということは知っているが、われわれが東大卒でないけれども個人として価値があるように、東大に受かることで人の価値は決まらない。だから、東大というだけで価値ある人だと彼らを勧めることに嫌悪がある。実際彼らは東大卒だから魅力的なのではなく、本人たちが魅力的で、その傑出した魅力の結果が「東大卒」でしかない。
----
わたしが思う彼らの面白さって「クイズと確かに本気であり、本気で楽しんでいること」たと思っている。
実際、わたしがQKにハマったのも、ふくらPの結婚報告動画でタイムレースクイズをウキウキで楽しむ東問さんを見たのがはじまりだ。
たた、それは、「人が何かを全力で楽しんでいる様」を見ていると快感/楽しくなる、という論理が成り立つことを前提としているんだけど、そもそも論理が成り立つのは何故?ということも考えなければならない。
---
YouTubeの中ではゲームを中心とした様々な趣味モノがある中でクイズは生活に地続きであり、普遍的な知識を取り出しているところがいい。クイズ自体を勉強してなくても分野によっては彼らより早く正解に辿り着けるところに快感があるし、一方で自分の範囲外の知識をたくさん知っている彼らの凄さも、やっぱり自分の生活と地続きだからよくわかる。
Apexのダイヤは凄いとわかるが、Apexやってないから別に自分の地続きにないので何がどう凄いかわからない。一方でクイズ王って「知ってるから凄い」という説明しやすい凄さである。
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けっこう一般的に嫌・学歴優性感情ってあると思っている。なんなら大学受験を本気で取り組んだ人ほど東大を標榜することにビミョーな感情を持っているのではないか。QKはよく「東大発の知能集団」とか、「メンバーの大半が東大卒」と記されるが、そんなこと言ってもお勧め的にはネガに働く気がしている。
彼らに掲げられがちなわかりやすい価値はそこかもしれないけど、でも彼らの面白さってそこで損なわれるならプレゼンとしては不採用の要素になる。
東大標榜に嫌悪、というより、届く位置に東大据えていたことがあった人や、いわゆる東大「以下」の大学に届かなかった人にとって、おすすめする導入としては興醒めなネガポイントになり得る気がする。「東大卒」と言われて、思う感情って「おー!!すごい!」とかではなく、「ふーん、で?」である気がする。東大に受かることがすごいということは知っているが、われわれが東大卒でないけれども個人として価値があるように、東大に受かることで人の価値は決まらない。だから、東大というだけで価値ある人だと彼らを勧めることに嫌悪がある。実際彼らは東大卒だから魅力的なのではなく、本人たちが魅力的で、その傑出した魅力の結果が「東大卒」でしかない。
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わたしが思う彼らの面白さって「クイズと確かに本気であり、本気で楽しんでいること」たと思っている。
実際、わたしがQKにハマったのも、ふくらPの結婚報告動画でタイムレースクイズをウキウキで楽しむ東問さんを見たのがはじまりだ。
たた、それは、「人が何かを全力で楽しんでいる様」を見ていると快感/楽しくなる、という論理が成り立つことを前提としているんだけど、そもそも論理が成り立つのは何故?ということも考えなければならない。
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YouTubeの中ではゲームを中心とした様々な趣味モノがある中でクイズは生活に地続きであり、普遍的な知識を取り出しているところがいい。クイズ自体を勉強してなくても分野によっては彼らより早く正解に辿り着けるところに快感があるし、一方で自分の範囲外の知識をたくさん知っている彼らの凄さも、やっぱり自分の生活と地続きだからよくわかる。
Apexのダイヤは凄いとわかるが、Apexやってないから別に自分の地続きにないので何がどう凄いかわからない。一方でクイズ王って「知ってるから凄い」という説明しやすい凄さである。
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2024年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
QKで、お一人からかなり文量のある感想をいただいて、もう2週間も経つのにいまだに嬉しくて、そして感想ってものすごい操作能力を持っているのではと今更気づいたのだけれど
ある特定の自分の趣向に合った作品だけを取り上げて、「わたしはXXが好きなのですが、あなたが描いてくれるYYという部分はそこにピッタリ当てはまって感動しました。特にZZというところが…」みたいな感想を長文で送りつけたら、創作者がモチベーションを持って取り組む作品の思考を自分の趣向に寄せられることができるのでは?
人から言語で自分の思考を定義されることで、その言語に引きずられて自分の思考を定義された言語にすり替えてしまうこともあるだろうし
5万のいいねより1回の特濃メッセージの方が気持ちいいに決まってるんだから。特に、本にまとめられてもない、日常のある特定の思考の作品に熱烈な感想きたら、創作者がその感想者の気を引きたくなってくるだろうし。現に、今も山本さんと鶴崎さんを描く時うっすら感想くれた方のこと意識してしまうし。
ていうかこれ、私がやってたことか?これまで。どうだろう、作るものまで影響与えていたのだろうか
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ある特定の自分の趣向に合った作品だけを取り上げて、「わたしはXXが好きなのですが、あなたが描いてくれるYYという部分はそこにピッタリ当てはまって感動しました。特にZZというところが…」みたいな感想を長文で送りつけたら、創作者がモチベーションを持って取り組む作品の思考を自分の趣向に寄せられることができるのでは?
人から言語で自分の思考を定義されることで、その言語に引きずられて自分の思考を定義された言語にすり替えてしまうこともあるだろうし
5万のいいねより1回の特濃メッセージの方が気持ちいいに決まってるんだから。特に、本にまとめられてもない、日常のある特定の思考の作品に熱烈な感想きたら、創作者がその感想者の気を引きたくなってくるだろうし。現に、今も山本さんと鶴崎さんを描く時うっすら感想くれた方のこと意識してしまうし。
ていうかこれ、私がやってたことか?これまで。どうだろう、作るものまで影響与えていたのだろうか
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「独身女性のロールモデル」
結婚という選択肢は、これまで多くの人が選んできた※から、おおよそ社会制度や商品も結婚・出産を前提に作られている。人生の選択をするにもパートナーと共に考えられる上、共に時間を費やせる相手となってくれる。加えて、子供がいるならば、20年以上お金と時間を費やす存在となる。
一方で、独身という道にはレールがない。
独身という道に埋まっている人生の大きなイベントは「家を買う」「親の介護」「親の死」「病気」「定年退職」くらいだ。そして、現役の次のライフステージは「老衰」と「死」である。時間を費やす人間も、親の介護がなければ基本的にない。何もなければただひたすら膨大な時間を消費するすべを考えなければならない。
※30代女性は6〜7割結婚しているらしい
https://onet.co.jp/marriage_column/3234....
と、いうことを、24歳くらいの頃に自覚し出していた話を以前した。
直近、SNSでも独身女性のロールモデルってないよねという話を見た。
http://subro36.sub.jp/TegaLog/tegalog.cg...
特定の人に憧れてもらいたいわけでもないのだが、最近は少し、独身ヲタク女性として誰かのロールモデルになれるならなりたいなと思っている。
年齢28歳、実家暮らし、一般大卒、みたいなところをネットに出しているのもそこが理由である。
私だって、「XX歳にもなって実家暮らし」と年齢と処遇を聞いてため息つかれることも、プライベートな時間を趣味にぶちこんでいることを大人気ないと言われることにもやはりどこか怯えと悲しさがある。
もちろん別に私は一般女性の中央値でも平均でもないから、多くの人のロールモデルになることはない。一般的にいえば高学歴だし、同年代一般より高収入だし、東京都近郊実家暮らしとかなんてまあある条件ではないだろう。
でもきっと、お絵描きや漫画を愛している同じ界隈には同じような人がいて、そして同じようになっていく人もいるかもしれない。そうなった時に、周りの意見で怯えているような人としては映りたくないな、と思っている。
同じようなことを以前も言ったのになぜまた綴っているかというと、
最近QKのFA界隈を眺めているからだ。18歳未満が多い、そして、一般大を目指している子が多い。多分、彼/彼女たちは絵を大学で学ばないし、きっと仕事にしない。(ダンガンロンパの同人描いている人って美大卒・職業で絵を描いている人多くないか!??!?!?!)
この子達、きっとどこかで美大に行かない・絵を趣味とする、みたいな選択肢をするんだろうなと思うと懐かしく思い自分を重ねてしまう。私も絵を趣味にしているから、美大に行こうかと思った時期がある。でも、絵は趣味でいいと割り切って、一般大に進学した。そして、一般大を卒業して会社員として就職した後、趣味つまり「時間を使えるもの」として絵や漫画があることがかなり救いになっている。美大行かなくたって趣味として絵は偉大だ。中学生の時に上手くなくたって、三十路の時には絵が上手くなって来るかもしれない。それはみっともないことではないし、絵があるから将来の時間を潰せそうだし、楽しいよって示したい。
独身において、他人に笑われても自分で未来を設計する精神を持つというのはかなり大事なことだと思うので、後続の独身たちが胸をはれるよう、私も胸をはりたいなという話。
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結婚という選択肢は、これまで多くの人が選んできた※から、おおよそ社会制度や商品も結婚・出産を前提に作られている。人生の選択をするにもパートナーと共に考えられる上、共に時間を費やせる相手となってくれる。加えて、子供がいるならば、20年以上お金と時間を費やす存在となる。
一方で、独身という道にはレールがない。
独身という道に埋まっている人生の大きなイベントは「家を買う」「親の介護」「親の死」「病気」「定年退職」くらいだ。そして、現役の次のライフステージは「老衰」と「死」である。時間を費やす人間も、親の介護がなければ基本的にない。何もなければただひたすら膨大な時間を消費するすべを考えなければならない。
※30代女性は6〜7割結婚しているらしい
https://onet.co.jp/marriage_column/3234....
と、いうことを、24歳くらいの頃に自覚し出していた話を以前した。
直近、SNSでも独身女性のロールモデルってないよねという話を見た。
http://subro36.sub.jp/TegaLog/tegalog.cg...
特定の人に憧れてもらいたいわけでもないのだが、最近は少し、独身ヲタク女性として誰かのロールモデルになれるならなりたいなと思っている。
年齢28歳、実家暮らし、一般大卒、みたいなところをネットに出しているのもそこが理由である。
私だって、「XX歳にもなって実家暮らし」と年齢と処遇を聞いてため息つかれることも、プライベートな時間を趣味にぶちこんでいることを大人気ないと言われることにもやはりどこか怯えと悲しさがある。
もちろん別に私は一般女性の中央値でも平均でもないから、多くの人のロールモデルになることはない。一般的にいえば高学歴だし、同年代一般より高収入だし、東京都近郊実家暮らしとかなんてまあある条件ではないだろう。
でもきっと、お絵描きや漫画を愛している同じ界隈には同じような人がいて、そして同じようになっていく人もいるかもしれない。そうなった時に、周りの意見で怯えているような人としては映りたくないな、と思っている。
同じようなことを以前も言ったのになぜまた綴っているかというと、
最近QKのFA界隈を眺めているからだ。18歳未満が多い、そして、一般大を目指している子が多い。多分、彼/彼女たちは絵を大学で学ばないし、きっと仕事にしない。(ダンガンロンパの同人描いている人って美大卒・職業で絵を描いている人多くないか!??!?!?!)
この子達、きっとどこかで美大に行かない・絵を趣味とする、みたいな選択肢をするんだろうなと思うと懐かしく思い自分を重ねてしまう。私も絵を趣味にしているから、美大に行こうかと思った時期がある。でも、絵は趣味でいいと割り切って、一般大に進学した。そして、一般大を卒業して会社員として就職した後、趣味つまり「時間を使えるもの」として絵や漫画があることがかなり救いになっている。美大行かなくたって趣味として絵は偉大だ。中学生の時に上手くなくたって、三十路の時には絵が上手くなって来るかもしれない。それはみっともないことではないし、絵があるから将来の時間を潰せそうだし、楽しいよって示したい。
独身において、他人に笑われても自分で未来を設計する精神を持つというのはかなり大事なことだと思うので、後続の独身たちが胸をはれるよう、私も胸をはりたいなという話。
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スウェーデン国立美術館 素描コレクション展―ルネサンスからバロックまで
国立西洋美術館
2025年7月1日〜9月28日。
#togolist
https://x.com/bijutsutecho_/status/18590...
国立西洋美術館
2025年7月1日〜9月28日。
#togolist
https://x.com/bijutsutecho_/status/18590...
とむさん(クイズノックの人で、ブログがとってもおもしろいけど3月に脱退するのでブログが読めなくなり、涙、という人)の代わりの文章をXで使ったところ、日常的に英語を使う人の言葉選びであることを理由に村上春樹のエッセイを勧められて読んでいる。たしかにとても読みやすい。
ただ、一部なんとなく、女性が性的対象としてしか扱われていない、というか同じ人間ではないというような節がありキモさを感じる。女性の書き方・捉え方が未知の生物に近く、わりとキモい。だから多分小説は読まなくていいんだろう。
こんなことでキモがるのも、すごい主語が大きいな、と感じる。村上春樹が描いている個人個人の女性は私ではないし。しかし、きっと彼がそこらにいる私をエッセイとして表現する時、主語は「女性」になるんだろうなという気もして、やっぱりキモいなという気持ちになる。
いずれにせよ、私は本を読まないので村上春樹さんの小説を読んだことは国語の現代文でしかなく、おそらく今後もないのだけど、エッセイはとても読みやすい。「日常的に英語を使う人」という共通点だけでポンっと村上春樹のエッセイを勧めてくださった方がすごい。議題があり、まつわる事実があり、感覚を語るという流れと、語彙がものすごく読みやすい。読感としてはたしかにとむさんに近い。日常的に本を読んでいる人だからできるレファレンスなのだろうか。その感覚のぴったり感覚に感動した。
P.S.
やっぱり村上春樹小説って女性の扱いどうこう言われてるんですね。本当に本を読まないのでそれすら無知です。
ちなみに女性の扱いについては、男性向けのコンテンツも嗜むわたしはかなりダブルスタンダード的です。男性のキャラクターの好みは内面にあり、女性のキャラクターの好みは外観にある、というどうしようもない性質に今年気づき、自分でも呆れていますから。ここらへんもいつか書きたいですね。とかく、一切信用しないでください。
ただ、一部なんとなく、女性が性的対象としてしか扱われていない、というか同じ人間ではないというような節がありキモさを感じる。女性の書き方・捉え方が未知の生物に近く、わりとキモい。だから多分小説は読まなくていいんだろう。
こんなことでキモがるのも、すごい主語が大きいな、と感じる。村上春樹が描いている個人個人の女性は私ではないし。しかし、きっと彼がそこらにいる私をエッセイとして表現する時、主語は「女性」になるんだろうなという気もして、やっぱりキモいなという気持ちになる。
いずれにせよ、私は本を読まないので村上春樹さんの小説を読んだことは国語の現代文でしかなく、おそらく今後もないのだけど、エッセイはとても読みやすい。「日常的に英語を使う人」という共通点だけでポンっと村上春樹のエッセイを勧めてくださった方がすごい。議題があり、まつわる事実があり、感覚を語るという流れと、語彙がものすごく読みやすい。読感としてはたしかにとむさんに近い。日常的に本を読んでいる人だからできるレファレンスなのだろうか。その感覚のぴったり感覚に感動した。
P.S.
やっぱり村上春樹小説って女性の扱いどうこう言われてるんですね。本当に本を読まないのでそれすら無知です。
ちなみに女性の扱いについては、男性向けのコンテンツも嗜むわたしはかなりダブルスタンダード的です。男性のキャラクターの好みは内面にあり、女性のキャラクターの好みは外観にある、というどうしようもない性質に今年気づき、自分でも呆れていますから。ここらへんもいつか書きたいですね。とかく、一切信用しないでください。
カラーズ ― 色の秘密にせまる 印象派から現代アートへ
2024年12月14日(土)~ 2025年5月18日(日) 会期中無休
https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/...
#ToGoList
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https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/...
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行きたいところメモしないと忘れる
新国立美術館(六本木)
リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s-1970s
2025年3月19日(水) ~ 2025年6月30日(月)
https://living-modernity.jp/
#ToGoList
新国立美術館(六本木)
リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s-1970s
2025年3月19日(水) ~ 2025年6月30日(月)
https://living-modernity.jp/
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国立西洋美術館の企画展モネ展と、常設展に行きました。私って印象派が好きだと思っていたから。
私は特に一般常識程度の美術の素養しかないので、一般的な絵の価値はよくわかりません。絵を見る時は好みか/否かという私的な目線で観ています。
で、《睡蓮》連作は刺さらなかったという印象でした。混み混みしすぎていたのもあるかもしれません。結構驚きました。
私が明確に「この種の絵画が好きだな」と思ったのは、オルセー美術館に訪れた時に見た絵画の数々、印象派だったのです。ルノワール、マネ、ゴッホ、そしてもちろんモネの風景画も。
《柳》など、惹かれる絵画もあったものの、メインの《睡蓮》の装飾画は全然惹かれなかった、魅力がよくわからなかった。晩年の白内障を患った後の絵は痛々しさを感じて悲痛な気持ちになった。たぶん、私の好みの色のリズムではなかったので、心がぐちゃぐちゃになった。
先週訪れたSOMPO美術館のカナレットの絵の方が圧倒的に好みだった。考えてみると、私は「明るい(印象をもつ)絵」が好きなのかもしれない。そして、私の好みの色のリズムというものがあり、私は思ったより自分の好きな色のリズムを愛好しているのかもしれないと思った。
言葉にするなら、というよりPCCSのトーン体系で表すなら、lt〜bの明清色でいっそ統一された明るい印象の絵か、明清色をどこかで使いつつ、トーンオントーンでコントラストが強い配色がかなり好きなようだ。モネの《睡蓮》の終盤はどちらかというとdk/dl/dkgあたりの色が混ぜ合わされた印象が強く、多分私の好みじゃなかったのだろう。
モネ展に足を運ぶ中、実はひとつ期待していたことがある。ポール・シニャックの絵画だ。まあだいたい、印象派の隣に、新印象派のポール・シニャックの絵画があるのだ。
ポール・シニャックは点描によって絵を描いた。「新印象派」といわれ、のちにフォービズムに繋がっていく。
点描によって色が併置(隣に置く)されると人間の目では「併置配色」という混色が起きる。
混色には減法混色(色を合わせるほど暗くなる)と加法混色(色を合わせるほど明るくなる)があるが、ふつう、絵は絵の具を混ぜて描かれるので減法混色によって色が作られる。併置配色は中間混色といわれ、どちらかというと加法混色、つまり、「明るく」なる。そりゃあ、好きだ。
ちなみに常設展の方に2点、ポール・シニャックの絵があった。あきらかにポール・シニャックである絵が目に入ってテンションがぶわっと上がったので、かなり好きなんだろうポール・シニャック。
大阪に旅行した際、たまたま宿泊したホテルニューオータニでフォービズムの展示をやっていた。その時にラウル・デュフィが好きだなと思ったのだが、これも常設展にあった。嬉しい。
これからまた美術館に訪れたいが、ちょっと自分の好みを探ってみたい。好きな有名な画家がいると、美術館に行った時に楽しみが増える。
次にポール・シニャック展とかデュフィ展が開かれる時は絶対に足を運ぶ決意と共に。
P.S.
国立西洋美術館の常設展の部分、ル・コルビュジエの建築らしく開放的で広々として、美術館としてかなり良かった。あそこらへんのミニマルデザインの潮流がかなり好きだ。この美術館も、美術を観るための機械なのかもしれないね〜と思ったけど、国立西洋美術館では、向かうための階段が激狭すぎる中3階に展示をおいたことがないらしい。危険だから。機能…微妙か…?
P.S.
ポーラ美術館で「カラーズ」という題の企画展をやるそうです。行きたい。そもそも箱根という地が好きで、森の中の遊歩道を擁するポーラ美術館も落ち着いて鑑賞できて大好きな場所です。
https://x.com/fashionpressnet/status/185...
そういえばポーラ美術館かも。印象派展やっていて、モネのとなりにポール・シニャック置いていたの。
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私は特に一般常識程度の美術の素養しかないので、一般的な絵の価値はよくわかりません。絵を見る時は好みか/否かという私的な目線で観ています。
で、《睡蓮》連作は刺さらなかったという印象でした。混み混みしすぎていたのもあるかもしれません。結構驚きました。
私が明確に「この種の絵画が好きだな」と思ったのは、オルセー美術館に訪れた時に見た絵画の数々、印象派だったのです。ルノワール、マネ、ゴッホ、そしてもちろんモネの風景画も。
《柳》など、惹かれる絵画もあったものの、メインの《睡蓮》の装飾画は全然惹かれなかった、魅力がよくわからなかった。晩年の白内障を患った後の絵は痛々しさを感じて悲痛な気持ちになった。たぶん、私の好みの色のリズムではなかったので、心がぐちゃぐちゃになった。
先週訪れたSOMPO美術館のカナレットの絵の方が圧倒的に好みだった。考えてみると、私は「明るい(印象をもつ)絵」が好きなのかもしれない。そして、私の好みの色のリズムというものがあり、私は思ったより自分の好きな色のリズムを愛好しているのかもしれないと思った。
言葉にするなら、というよりPCCSのトーン体系で表すなら、lt〜bの明清色でいっそ統一された明るい印象の絵か、明清色をどこかで使いつつ、トーンオントーンでコントラストが強い配色がかなり好きなようだ。モネの《睡蓮》の終盤はどちらかというとdk/dl/dkgあたりの色が混ぜ合わされた印象が強く、多分私の好みじゃなかったのだろう。
モネ展に足を運ぶ中、実はひとつ期待していたことがある。ポール・シニャックの絵画だ。まあだいたい、印象派の隣に、新印象派のポール・シニャックの絵画があるのだ。
ポール・シニャックは点描によって絵を描いた。「新印象派」といわれ、のちにフォービズムに繋がっていく。
点描によって色が併置(隣に置く)されると人間の目では「併置配色」という混色が起きる。
混色には減法混色(色を合わせるほど暗くなる)と加法混色(色を合わせるほど明るくなる)があるが、ふつう、絵は絵の具を混ぜて描かれるので減法混色によって色が作られる。併置配色は中間混色といわれ、どちらかというと加法混色、つまり、「明るく」なる。そりゃあ、好きだ。
ちなみに常設展の方に2点、ポール・シニャックの絵があった。あきらかにポール・シニャックである絵が目に入ってテンションがぶわっと上がったので、かなり好きなんだろうポール・シニャック。
大阪に旅行した際、たまたま宿泊したホテルニューオータニでフォービズムの展示をやっていた。その時にラウル・デュフィが好きだなと思ったのだが、これも常設展にあった。嬉しい。
これからまた美術館に訪れたいが、ちょっと自分の好みを探ってみたい。好きな有名な画家がいると、美術館に行った時に楽しみが増える。
次にポール・シニャック展とかデュフィ展が開かれる時は絶対に足を運ぶ決意と共に。
P.S.
国立西洋美術館の常設展の部分、ル・コルビュジエの建築らしく開放的で広々として、美術館としてかなり良かった。あそこらへんのミニマルデザインの潮流がかなり好きだ。この美術館も、美術を観るための機械なのかもしれないね〜と思ったけど、国立西洋美術館では、向かうための階段が激狭すぎる中3階に展示をおいたことがないらしい。危険だから。機能…微妙か…?
P.S.
ポーラ美術館で「カラーズ」という題の企画展をやるそうです。行きたい。そもそも箱根という地が好きで、森の中の遊歩道を擁するポーラ美術館も落ち着いて鑑賞できて大好きな場所です。
https://x.com/fashionpressnet/status/185...
そういえばポーラ美術館かも。印象派展やっていて、モネのとなりにポール・シニャック置いていたの。
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てがろぐにコメント機能をつけました。こういう実装をするたびにChatGPTに課金しています。
本来自明な指示を送らなければならないのに、ふんわりした指示しかできないため、かなり格闘しました。ありがとう生成AI。
そういえば、生成AIに対するスタンスとかも示したいです。わたしは生成AI自体には肯定的です。というか、仕事柄肯定的と言わざるを得ません。
基本的に私は生成AI推進派だけれど、創作という分野に関しては倫理観の欠如が顕著に見られるため、利用には懐疑的です(利用者の倫理が追いついていないと思う)。(この文章を読む人は、これで私が“AI推進派“だと切り取るよう人ではないと願いつつ。)
そして、私に対する倫理観のない屈辱的な行為には、生成AIの利用に関わらず強く反対します。
創造的でない仕事は奪ってほしいです。生成AIは人の業務時間を給料据え置きで6時間にしてくれる可能性があります。まあこの目標は、資本主義社会では難しいでしょう。労働時間が減るなら会社は利益を最大化するためにコスト(給料)を減らすに決まっているからです。まあ、少なくとも現実的に世の中から無駄な残業は減らせます。私は仕事を通じて、人に快く仕事をして欲しいと思っており、生成AIはやはり強力なツールだと思います。世の中、もっと人間が楽しく快く働きがいを感じられるはずの業務に時間をさけるようになって欲しいです。
生成AIではできないこと、それは倫理的な判断です。
生成AIでは倫理的な判断ができないから、生成AIの利用には倫理が求められます。人の尊厳や人格を奪うことはあってはならないのです。
たとえ仕事を減らせたとしても、その人の尊厳を奪うことはよくないと私は思います。
殊更にイラスト業界において、生成AIはひたすら人の尊厳を奪っていることが気になります。何年もかけて育てたスキルや画力を、奪ってやったと主張する、仕事は奪えると主張することも、作者の思想にないことをあたかもその作者が考えた/作ったように見せかけられる使い方も、私個人は嫌悪しています。
(著作権における不正義は一旦置いています。今は法的な正義ではなく、私の倫理に反するという感情的な話をしております)
わたしは、倫理観のないAI使用に強く反対します。
よって、私の絵も生成AIの学習に使うことを禁止します。が、X社については許容します。私が恐れていることは、自分の絵柄で自分を騙られて、自分の思想に反するようなものを生産されることです。X社に絵を学習されたとて、私の絵柄で絵を描くことは難しく、私に被害(上記の通り、自分を騙られること)はないので構いません。私/私の絵と詐称して、私の考えにないことをあたかも私が考えたかのように見られることが屈辱なのです。
補足1:
正直、2024年11月現在では、生成AIが創造的な仕事を完全に奪えているかというと、微妙だと思っています。生成AIは、あくまで確率的にそれらしいとのを作るだけで、まだ究極的な審美眼には劣る気がしてます。人間が作品を見て得る心地よさの精製は、まだプロフェッショナルな人間の審美眼に代えられるものではありません。
これは画像生成AIで感じているというより、普段の仕事で感じています。膨大な、時には言語化できていないインプットと、欲しいアウトプットがある中で、適当に生成AIに資料とプロンプトを突っ込んでもドラえもんの道具のように欲しいものをビッタリ出してくれない。残念ながら、私はスライドをちまちま頭を動かしながら書いているわけです。
このてがろぐにコメントボタンを実装しましたが、まあ普通に位置とか微妙ですよね。生成AIのアウトプットをプロフェッショナルな創造物と代替させるには、それをチェック/修正できる能力と審美眼が求められると思います。(コメントボタンの実装はほぼ生成AIに丸投げして、できていない部分を文句言って修正させまくりました)
そして単純に、生成AIが万能であるならば、生成AIと倫理観の欠如の問題に生成AIが解決策を出しているでしょう。やっぱり人間の創造性がまだまだ重要ということです。
補足2:
(倫理観はともかく)今の生成AIの絵ってすごいですよね。私より100,000倍上手い。
さて、生成AIの絵を見た時(生成AIだとわかった時に)に抱く嫌悪感を説明できる人がどれだけいるでしょうか。単純に生成AIだからと言って不正義であると考えるのも、問題から目を背けている気がしてなりません。困っている人に対して、なんの解決にもならないのではないでしょうか。
生成AIを自作の絵だと偽る倫理観が気持ち悪いのでしょうか。では、正直にAI製と言っていたら嫌悪感はない?
もしくは、学習セットに著作権として許諾されていないものが含まれているにも関わらず、利用している倫理観のなさが気持ち悪いのでしょうか。では、著作権的に本当にクリアな物を使っていたら嫌悪感はない?
自分が年月と努力を持って築きあげることで生まれた製作物と同等のものがプロンプト(AIに与える命令文のこと)だけで生まれることに対する、自分の経験を軽んじる行いへの憤りがあるのでしょうか。もしくは、“本物を見極める自身の審美眼”がなかったことに対する憤りを生成AI製の絵に転嫁しているのでしょうか。
私も、生成AIの絵に対する、居心地の悪さを抱いています。一方で、どういう倫理(法律)を定めたら、創作者が救われるのか、考えるにはその線引き(あなたの倫理)がとても重要になる気がします。
補足3:
上記の文章をChatGPTに入れ、関連する論文を出すように指示したところ興味深い論文を見つけてきてくれました。
生成AI(Generative AI)の倫理的・法的・社会的課題(ELSI)論点の概観 : 2023年3月版
(大阪大学社会技術共創研究センター)
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ou...
"古い"文章ですが、生死AIを取り巻く倫理的・法的・社会的課題において議論された内容が各種まとめられており、とても興味深い文章です。
生成AIのデータセットは米欧のデータセットが多くバイアスが含まれるという一般的な指摘から、私たちに卑近な例まで多く取り上げています。興味があったら全文読んでみてください。堅苦しい本を1冊読むより、生成AIの様々な問題に気楽に触れることができるでしょう。
例えば、Stable Diffusionは研究目的と称して学術機関で利用したデータを使うことで、著作権問題をロンダリングしているという指摘があります。
"研究⽬的としてなら著作権に保護されたデータを( 「フェアユース」 に該当するとして) 容易に収集することができ、そこで⽣み出されたデータセットを使うことで、著作物の使⽤に対する対価を払うことなく、 商業製品を作ることが可能になるのである。まさに Stable Diffusionは(LAISON に資⾦提供をしているにもかかわらず)このような形で作成された。 "1)
1)大阪大学社会技術共創研究センター.生成AI(Generative AI)の倫理的・法的・社会的課題(ELSI)論点の概観 : 2023年3月版,p.7
一方で、"古い"文章であることには注意して読んでください。GPT4が公開されない決断をされた、というのは23年3月の"古い"情報であり、GPT4は一般公開されているわけですから。
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本来自明な指示を送らなければならないのに、ふんわりした指示しかできないため、かなり格闘しました。ありがとう生成AI。
そういえば、生成AIに対するスタンスとかも示したいです。わたしは生成AI自体には肯定的です。というか、仕事柄肯定的と言わざるを得ません。
基本的に私は生成AI推進派だけれど、創作という分野に関しては倫理観の欠如が顕著に見られるため、利用には懐疑的です(利用者の倫理が追いついていないと思う)。(この文章を読む人は、これで私が“AI推進派“だと切り取るよう人ではないと願いつつ。)
そして、私に対する倫理観のない屈辱的な行為には、生成AIの利用に関わらず強く反対します。
創造的でない仕事は奪ってほしいです。生成AIは人の業務時間を給料据え置きで6時間にしてくれる可能性があります。まあこの目標は、資本主義社会では難しいでしょう。労働時間が減るなら会社は利益を最大化するためにコスト(給料)を減らすに決まっているからです。まあ、少なくとも現実的に世の中から無駄な残業は減らせます。私は仕事を通じて、人に快く仕事をして欲しいと思っており、生成AIはやはり強力なツールだと思います。世の中、もっと人間が楽しく快く働きがいを感じられるはずの業務に時間をさけるようになって欲しいです。
生成AIではできないこと、それは倫理的な判断です。
生成AIでは倫理的な判断ができないから、生成AIの利用には倫理が求められます。人の尊厳や人格を奪うことはあってはならないのです。
たとえ仕事を減らせたとしても、その人の尊厳を奪うことはよくないと私は思います。
殊更にイラスト業界において、生成AIはひたすら人の尊厳を奪っていることが気になります。何年もかけて育てたスキルや画力を、奪ってやったと主張する、仕事は奪えると主張することも、作者の思想にないことをあたかもその作者が考えた/作ったように見せかけられる使い方も、私個人は嫌悪しています。
(著作権における不正義は一旦置いています。今は法的な正義ではなく、私の倫理に反するという感情的な話をしております)
わたしは、倫理観のないAI使用に強く反対します。
よって、私の絵も生成AIの学習に使うことを禁止します。が、X社については許容します。私が恐れていることは、自分の絵柄で自分を騙られて、自分の思想に反するようなものを生産されることです。X社に絵を学習されたとて、私の絵柄で絵を描くことは難しく、私に被害(上記の通り、自分を騙られること)はないので構いません。私/私の絵と詐称して、私の考えにないことをあたかも私が考えたかのように見られることが屈辱なのです。
補足1:
正直、2024年11月現在では、生成AIが創造的な仕事を完全に奪えているかというと、微妙だと思っています。生成AIは、あくまで確率的にそれらしいとのを作るだけで、まだ究極的な審美眼には劣る気がしてます。人間が作品を見て得る心地よさの精製は、まだプロフェッショナルな人間の審美眼に代えられるものではありません。
これは画像生成AIで感じているというより、普段の仕事で感じています。膨大な、時には言語化できていないインプットと、欲しいアウトプットがある中で、適当に生成AIに資料とプロンプトを突っ込んでもドラえもんの道具のように欲しいものをビッタリ出してくれない。残念ながら、私はスライドをちまちま頭を動かしながら書いているわけです。
このてがろぐにコメントボタンを実装しましたが、まあ普通に位置とか微妙ですよね。生成AIのアウトプットをプロフェッショナルな創造物と代替させるには、それをチェック/修正できる能力と審美眼が求められると思います。(コメントボタンの実装はほぼ生成AIに丸投げして、できていない部分を文句言って修正させまくりました)
そして単純に、生成AIが万能であるならば、生成AIと倫理観の欠如の問題に生成AIが解決策を出しているでしょう。やっぱり人間の創造性がまだまだ重要ということです。
補足2:
(倫理観はともかく)今の生成AIの絵ってすごいですよね。私より100,000倍上手い。
さて、生成AIの絵を見た時(生成AIだとわかった時に)に抱く嫌悪感を説明できる人がどれだけいるでしょうか。単純に生成AIだからと言って不正義であると考えるのも、問題から目を背けている気がしてなりません。困っている人に対して、なんの解決にもならないのではないでしょうか。
生成AIを自作の絵だと偽る倫理観が気持ち悪いのでしょうか。では、正直にAI製と言っていたら嫌悪感はない?
もしくは、学習セットに著作権として許諾されていないものが含まれているにも関わらず、利用している倫理観のなさが気持ち悪いのでしょうか。では、著作権的に本当にクリアな物を使っていたら嫌悪感はない?
自分が年月と努力を持って築きあげることで生まれた製作物と同等のものがプロンプト(AIに与える命令文のこと)だけで生まれることに対する、自分の経験を軽んじる行いへの憤りがあるのでしょうか。もしくは、“本物を見極める自身の審美眼”がなかったことに対する憤りを生成AI製の絵に転嫁しているのでしょうか。
私も、生成AIの絵に対する、居心地の悪さを抱いています。一方で、どういう倫理(法律)を定めたら、創作者が救われるのか、考えるにはその線引き(あなたの倫理)がとても重要になる気がします。
補足3:
上記の文章をChatGPTに入れ、関連する論文を出すように指示したところ興味深い論文を見つけてきてくれました。
生成AI(Generative AI)の倫理的・法的・社会的課題(ELSI)論点の概観 : 2023年3月版
(大阪大学社会技術共創研究センター)
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ou...
"古い"文章ですが、生死AIを取り巻く倫理的・法的・社会的課題において議論された内容が各種まとめられており、とても興味深い文章です。
生成AIのデータセットは米欧のデータセットが多くバイアスが含まれるという一般的な指摘から、私たちに卑近な例まで多く取り上げています。興味があったら全文読んでみてください。堅苦しい本を1冊読むより、生成AIの様々な問題に気楽に触れることができるでしょう。
例えば、Stable Diffusionは研究目的と称して学術機関で利用したデータを使うことで、著作権問題をロンダリングしているという指摘があります。
"研究⽬的としてなら著作権に保護されたデータを( 「フェアユース」 に該当するとして) 容易に収集することができ、そこで⽣み出されたデータセットを使うことで、著作物の使⽤に対する対価を払うことなく、 商業製品を作ることが可能になるのである。まさに Stable Diffusionは(LAISON に資⾦提供をしているにもかかわらず)このような形で作成された。 "1)
1)大阪大学社会技術共創研究センター.生成AI(Generative AI)の倫理的・法的・社会的課題(ELSI)論点の概観 : 2023年3月版,p.7
一方で、"古い"文章であることには注意して読んでください。GPT4が公開されない決断をされた、というのは23年3月の"古い"情報であり、GPT4は一般公開されているわけですから。
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検定帰りに、目に入ったのでSOMPO美術館の「カナレットとヴェネツィアの輝き」に寄りました。
カナレットのことは知らなかったものの、広告の絵が綺麗だったのと大学4年の卒業旅行としてヴェネツィアに訪れたこともあり、ふらっと寄りました。光の描写、そしてヴェネツィアそのものが綺麗で良かったです。祭りの風景で、人間の顔も含めた光が点で表されていた絵が、光の煌めきそのものを感じられてお気に入りになりました。
美術的素養は全くないのですが、自分の感性で楽しみながら解説で理解を得るのが楽しいですね、美術は。
ポール・シニャックの作品もありました。おそらくポーラ美術館で初めて出会ってから、ポール・シニャックの明るい絵がとても好き。けれど、覚えようと試みては忘れてしまう、新印象派の点描画家…
さて。私は今日カラーコーディネーター検定を受けてきました。準備期間をおそらく1〜2週間長くしてしまい、必要以上にテキストの中身を頭に入れてしまいました。
わりと自信はあったものの、試験を開始するとあまり暗記内容と関係ない問題ばかりで、もはや作問者との感覚の違いに落ちるかと恐れながら試験を進めました。テキスト外も出るし、なんならこれ国語の問題だろというものも出るし、試験範囲に対するテストの定型として出そうな問題が出なさすぎて、拍子抜けなのか一周まわった緊張なのか、合否表示はやたら緊張しました。何気に9,900円するから、受験料。
デザインとかアート歴史、かなり頭に入れたのに…!!なんだこの作問!国語で10点以上取れるだろ!合格したからいいけれど。
突然ですが、カナレット展の話に戻ります。
ウォルター・リチャード・シッカートという画家の絵がありました。夜にぼんやり浮かぶ、ヴェネツィアのサン・マルタ大聖堂と、ほそぼそ浮かぶ灯りの絵です。
そのシッカートは、美術批評家「ジョン・ラスキン」にめちゃくちゃこきおろされて、名誉毀損の裁判を起こしていたらしいです。
ジョン・ラスキン!あの、ウィリアム・モリスのアーツアンドクラフツ運動に与えた美術批評家です!そう、カラーコーディネーター検定の試験範囲です。(出なかった)
こうしてカラーコーディネーター検定を学ぶことで、目の前の解説から枝を伸ばせる知識を得られたのは良いことだから、許してやるか、あの微妙な作問を……
(Wikipediaで調べたら、シッカートという人は切り裂きジャックが起こしたとされる事件の一つの真犯人説もあるようです。めちゃくちゃな人だったのでしょうね。面白い。)
国立西洋美術館のモネ展のチケットも買っているので、また外出機会に行きたいです。
これは、卒業旅行で行ったヴェネツィアの写真です。

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カナレットのことは知らなかったものの、広告の絵が綺麗だったのと大学4年の卒業旅行としてヴェネツィアに訪れたこともあり、ふらっと寄りました。光の描写、そしてヴェネツィアそのものが綺麗で良かったです。祭りの風景で、人間の顔も含めた光が点で表されていた絵が、光の煌めきそのものを感じられてお気に入りになりました。
美術的素養は全くないのですが、自分の感性で楽しみながら解説で理解を得るのが楽しいですね、美術は。
ポール・シニャックの作品もありました。おそらくポーラ美術館で初めて出会ってから、ポール・シニャックの明るい絵がとても好き。けれど、覚えようと試みては忘れてしまう、新印象派の点描画家…
さて。私は今日カラーコーディネーター検定を受けてきました。準備期間をおそらく1〜2週間長くしてしまい、必要以上にテキストの中身を頭に入れてしまいました。
わりと自信はあったものの、試験を開始するとあまり暗記内容と関係ない問題ばかりで、もはや作問者との感覚の違いに落ちるかと恐れながら試験を進めました。テキスト外も出るし、なんならこれ国語の問題だろというものも出るし、試験範囲に対するテストの定型として出そうな問題が出なさすぎて、拍子抜けなのか一周まわった緊張なのか、合否表示はやたら緊張しました。何気に9,900円するから、受験料。
デザインとかアート歴史、かなり頭に入れたのに…!!なんだこの作問!国語で10点以上取れるだろ!合格したからいいけれど。
突然ですが、カナレット展の話に戻ります。
ウォルター・リチャード・シッカートという画家の絵がありました。夜にぼんやり浮かぶ、ヴェネツィアのサン・マルタ大聖堂と、ほそぼそ浮かぶ灯りの絵です。
そのシッカートは、美術批評家「ジョン・ラスキン」にめちゃくちゃこきおろされて、名誉毀損の裁判を起こしていたらしいです。
ジョン・ラスキン!あの、ウィリアム・モリスのアーツアンドクラフツ運動に与えた美術批評家です!そう、カラーコーディネーター検定の試験範囲です。(出なかった)
こうしてカラーコーディネーター検定を学ぶことで、目の前の解説から枝を伸ばせる知識を得られたのは良いことだから、許してやるか、あの微妙な作問を……
(Wikipediaで調べたら、シッカートという人は切り裂きジャックが起こしたとされる事件の一つの真犯人説もあるようです。めちゃくちゃな人だったのでしょうね。面白い。)
国立西洋美術館のモネ展のチケットも買っているので、また外出機会に行きたいです。
これは、卒業旅行で行ったヴェネツィアの写真です。

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カラーコーディネーター検定は2級を持っていて、1級を受験していなかったのでリニューアル後のアドバンスドクラスを勉強しているのだけれど、2級に比較しても易化したなと感じる。これで落ちたら顔がないですが…
かつてのカラーコーディネーター1級はそもそも3つの分野、ファッション色彩・環境色彩・商品色彩に分かれていて、それぞれA4の厚い参考書があり、どう見ても色彩検定1級より覚えることが豊富なそれは、なかなかに憧れだったものだ。試験には論述も含まれていた。
アドバンスドクラスは2級にすらあった用語すらない。ベツォルド・ブリュッケ現象とか。憧れたあの分厚い、3分野の体系はもうないのか…と寂しく思いつつ、1ヶ月で復習できたギリギリだなとも思いつつ。
PS
色彩検定1級は色彩検定1級で、さまざまなJIS色名とそれを表す値、と色相環・トーンに対する明度の値を覚えなければならないという別の苦しみがあったりする。暗記はリニューアル後でもカラーコーディネーター検定の方が多い。
じゃあいずれがイラストにとって得か?というと、どっちもどっちだ。そもそもイラストで使うようなヨハネス・イッテンレベルの配色はどちらでも習うし、配色理論など検定範囲の超・一部でしかないから検定を受けなくてもいい、というのが私の結論だ。
強いて言えば、色彩検定の方が色名を頭に叩き込むことになるので、色名をドヤ顔で語れる。花色は青だね、とか。もうほとんど忘れたけど。
しかし、忘れてしまったことも、どこを見れば思い出せるのか知っていればいいのだ。そのとき使ってい色の名前事典 は今でもたまに読み返す。
凪いだ波の依る岸辺 のURLに含まれるのは勿忘草色で、「海潮音」というタイトルでヨーロッパの詩を上田敏さんが訳した、ウィルヘルム・アレントの「わすれなぐさ」 からタイトルを取っている。こういった遊びができるのは、知的に豊かな行為のようで、悦に浸れて面白い。(誰も気づかなかったけど)
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かつてのカラーコーディネーター1級はそもそも3つの分野、ファッション色彩・環境色彩・商品色彩に分かれていて、それぞれA4の厚い参考書があり、どう見ても色彩検定1級より覚えることが豊富なそれは、なかなかに憧れだったものだ。試験には論述も含まれていた。
アドバンスドクラスは2級にすらあった用語すらない。ベツォルド・ブリュッケ現象とか。憧れたあの分厚い、3分野の体系はもうないのか…と寂しく思いつつ、1ヶ月で復習できたギリギリだなとも思いつつ。
PS
色彩検定1級は色彩検定1級で、さまざまなJIS色名とそれを表す値、と色相環・トーンに対する明度の値を覚えなければならないという別の苦しみがあったりする。暗記はリニューアル後でもカラーコーディネーター検定の方が多い。
じゃあいずれがイラストにとって得か?というと、どっちもどっちだ。そもそもイラストで使うようなヨハネス・イッテンレベルの配色はどちらでも習うし、配色理論など検定範囲の超・一部でしかないから検定を受けなくてもいい、というのが私の結論だ。
強いて言えば、色彩検定の方が色名を頭に叩き込むことになるので、色名をドヤ顔で語れる。花色は青だね、とか。もうほとんど忘れたけど。
しかし、忘れてしまったことも、どこを見れば思い出せるのか知っていればいいのだ。そのとき使ってい色の名前事典 は今でもたまに読み返す。
凪いだ波の依る岸辺 のURLに含まれるのは勿忘草色で、「海潮音」というタイトルでヨーロッパの詩を上田敏さんが訳した、ウィルヘルム・アレントの「わすれなぐさ」 からタイトルを取っている。こういった遊びができるのは、知的に豊かな行為のようで、悦に浸れて面白い。(誰も気づかなかったけど)
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今、創作における「さぶろう」という人間が最も需要がない状態だと気づいたのだけれど、事実には気づけど対策しようとすることなく、好きな余暇を過ごそうと思えるような精神になれていることに気づいて大変安堵した。
狛日を描かなくなっても何か惜しまれることもなく、QK描いても自分の需要しか満たせていないという事実はあるし、そこに気づきはする。けれども、自分の作品が自己の価値にちゃんと結びつかない状態になれている。別に嘆いてもいないし、構ってほしいことを暗に示すこともない。今後「さぶろう」に対する他者評価に一切関係ない趣味である検定の勉強をしたりQKの動画を見ている。
正直、長年二次創作を続けていてようやくその精神に至れたな…という安堵感がある。
私はインターネットで創作していた時間が長い。最初にTwitterを始めたのは2010年、中学生の頃だ。
同世代で絵が上手い人なんてたくさんいて、周囲がpixivのデイリーに入るのに自分が入れないという状況が悔しかった。全然反応もつかなかった。本当に比較にならないほど下手であったので、当然だ。この頃はポーマニ(人体を描く練習サイト)を頑張っていたこともあった。21時寝→3時起きで学校に行くまで絵を描いていたこともあった。
(その同世代は今ではプロのイラストレーターになっていたりする。活躍を見られるのは嬉しい。)
大学で美大に進もうかと2日くらい考えたこともあったが、「ずっと絵を描き続けられるの?」という母の問いを参考に、一般大学に進むことにした。
私には決定的に、良い絵を描くために精進する絵心がなかった。
大学受験を期に絵から離れ、大学3年生まではあまり絵を描いていなかった。
大学4年生でYOIでヲタクに復帰し、ipadによって「絵をすぐ描ける」環境が出来、ヒロアカ・弱ペダを経てだんだん絵をたくさん描くようになった。
アイドルマスターシアターデイズにハマり、絵を投稿したら普段とは比較にならない定量的な反応があった。アイマスの二次創作の土壌ならではだ。嬉しくなって、居をうつした。
(あと、アイマスは絵描きと非絵描きの垣根がものすごく低い。たとえ絵が下手でも絵を描かなくても、アイドルを通じて人と仲良くなれる。居心地の良さの形成のしやすさが段違いだった)
アイマスにどっぷり浸かり、BLを卒業したかと思いきや2020年11月に狛日にハマり、初めて漫画を描くようになり、10作も同人誌を出して2024年に至る。
400枚も漫画を描いていれば上手くなるし、私は比較的話を書くのも好きだったせいか、狛日では人生で一番反応をいただいていたと思う。
この4年、比喩なくずっと原稿を進めていた。オンリーを期に一旦頻度を減らそうと、4年ぶりの休憩期に入っている。
ものすごくありがたいことに、過去作に感想をいただけたりしたが、作品を描かないから他者評価も何もない状態だ。
でも、焦りはない。
中学生の私なら、がむしゃらに描いただろうか。アイマスに移った私なら、作品を投稿できていないことに焦っただろうか。
狛日以降、特に「Rewind」を完成させてから「見てほしい」という欲求よりも、作品やキャラクターに対する萌えとパッションで二次創作をしていることが大きい。
私の狛日はそもそも需要が少ない。画力は周囲に及ばないし、ストーリーで圧倒できるわけでもなし、おそらくBL萌えテンプレートに添った過激に性的なものの方が反応はもらえる。
でも、私は私の狛日が好きだし、別に評価をもらおうと思っておもねることもない。多分ゆっくり、4年かけて、他者評価よりも自分の描きたいと思えるエネルギーを大事にできるようになったのかな、と思う。
本気で、インターネット(Twitter)中心で生きてきた。人生の1/3はTwitterを見た時間かもしれない。14年経て、ようやく穏やかに人生を生きることが出来ているなと思う。
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狛日を描かなくなっても何か惜しまれることもなく、QK描いても自分の需要しか満たせていないという事実はあるし、そこに気づきはする。けれども、自分の作品が自己の価値にちゃんと結びつかない状態になれている。別に嘆いてもいないし、構ってほしいことを暗に示すこともない。今後「さぶろう」に対する他者評価に一切関係ない趣味である検定の勉強をしたりQKの動画を見ている。
正直、長年二次創作を続けていてようやくその精神に至れたな…という安堵感がある。
私はインターネットで創作していた時間が長い。最初にTwitterを始めたのは2010年、中学生の頃だ。
同世代で絵が上手い人なんてたくさんいて、周囲がpixivのデイリーに入るのに自分が入れないという状況が悔しかった。全然反応もつかなかった。本当に比較にならないほど下手であったので、当然だ。この頃はポーマニ(人体を描く練習サイト)を頑張っていたこともあった。21時寝→3時起きで学校に行くまで絵を描いていたこともあった。
(その同世代は今ではプロのイラストレーターになっていたりする。活躍を見られるのは嬉しい。)
大学で美大に進もうかと2日くらい考えたこともあったが、「ずっと絵を描き続けられるの?」という母の問いを参考に、一般大学に進むことにした。
私には決定的に、良い絵を描くために精進する絵心がなかった。
大学受験を期に絵から離れ、大学3年生まではあまり絵を描いていなかった。
大学4年生でYOIでヲタクに復帰し、ipadによって「絵をすぐ描ける」環境が出来、ヒロアカ・弱ペダを経てだんだん絵をたくさん描くようになった。
アイドルマスターシアターデイズにハマり、絵を投稿したら普段とは比較にならない定量的な反応があった。アイマスの二次創作の土壌ならではだ。嬉しくなって、居をうつした。
(あと、アイマスは絵描きと非絵描きの垣根がものすごく低い。たとえ絵が下手でも絵を描かなくても、アイドルを通じて人と仲良くなれる。居心地の良さの形成のしやすさが段違いだった)
アイマスにどっぷり浸かり、BLを卒業したかと思いきや2020年11月に狛日にハマり、初めて漫画を描くようになり、10作も同人誌を出して2024年に至る。
400枚も漫画を描いていれば上手くなるし、私は比較的話を書くのも好きだったせいか、狛日では人生で一番反応をいただいていたと思う。
この4年、比喩なくずっと原稿を進めていた。オンリーを期に一旦頻度を減らそうと、4年ぶりの休憩期に入っている。
ものすごくありがたいことに、過去作に感想をいただけたりしたが、作品を描かないから他者評価も何もない状態だ。
でも、焦りはない。
中学生の私なら、がむしゃらに描いただろうか。アイマスに移った私なら、作品を投稿できていないことに焦っただろうか。
狛日以降、特に「Rewind」を完成させてから「見てほしい」という欲求よりも、作品やキャラクターに対する萌えとパッションで二次創作をしていることが大きい。
私の狛日はそもそも需要が少ない。画力は周囲に及ばないし、ストーリーで圧倒できるわけでもなし、おそらくBL萌えテンプレートに添った過激に性的なものの方が反応はもらえる。
でも、私は私の狛日が好きだし、別に評価をもらおうと思っておもねることもない。多分ゆっくり、4年かけて、他者評価よりも自分の描きたいと思えるエネルギーを大事にできるようになったのかな、と思う。
本気で、インターネット(Twitter)中心で生きてきた。人生の1/3はTwitterを見た時間かもしれない。14年経て、ようやく穏やかに人生を生きることが出来ているなと思う。
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